目次
Astre Nets(スレッドネット)とは? なぜ必要?
スレッドネット(現場では「Astre Nets」や「糸ソックス」と呼ばれることもあります)は、梱包材の“おまけ”ではありません。刺繍機の糸送りを安定させるための、地味だけど効く補助具です。
スレッドネットは、スプール表面にごく軽い抵抗(ドラッグ)を与えて、糸が「機械に引かれた分だけ」ほどける状態を作ります。レーヨンやメタリックのように、落ちる・膨らむ・ねじれる・輪になる糸ほど、効果が体感しやすいです。
データ(パンチ密度や走り順)が破綻しているものを直す道具ではありませんが、“糸切れに見える不具合”の大きな原因=糸の送りムラには強く効きます。


このガイドで身につくこと(作業シラバス)
単に「ネットを被せる」だけではなく、糸の送り出しを“設計”します。以下を扱います。
- 糸だまりの理屈: レーヨンが下に落ちやすい理由と止め方
- メタリックの“記憶”: ほどける時に暴れるクセ(ワイヤー的な戻り)を抑える
- 小巻き対応: 200mクラスはネットを半分に切って最適化(「半分カット」)
- 大型コーン固定: 5,500ヤード級を安定させる「差し込み固定」
- 作業フローへの組み込み: ネットで解決すべき症状/治具や枠側(マグネット枠等)を見直すべき症状の切り分け
注意:機械まわりの安全確認
糸道の近くで作業します。ハサミ/糸切りは使わない時は刃先を安全に管理してください。スプールの縁(リム)に傷が付くと“バリ”になり、以後ずっと糸を引っ掛ける原因になります。手指のケガだけでなく、糸トラブルの種も作らないのが鉄則です。
失敗の物理:レーヨン糸 vs メタリック糸
相手(糸)の性格を理解すると、対策が迷いません。ここでは、糸送りトラブルを起こしやすい代表例を2つに分けます。
レーヨン: “液体みたいに落ちる”問題
レーヨンは光沢がきれいで人気ですが、糸自体が柔らかく滑りやすいのが特徴です。特に、テーパー(先細り)がないストレート形状の旧タイプスプールや、糸止めが弱いスプールでは、重力に負けて糸が下へずり落ちます。
結果: スプール下部に糸が溜まる(糸だまり/プーリング)。溜まった輪が台座やスプール下に噛むと、一気に抵抗が増えてテンションが跳ね上がり、糸切れにつながります。

メタリック: “バネみたいに戻る”問題
メタリック糸は構造的に“ワイヤーっぽい”性格があり、巻かれていた形に戻ろうとします(いわゆるメモリー)。制御がないと、スプールから大きな螺旋状に暴れてほどけます。
結果: キンク(ねじれ)やループが発生し、最初の糸ガイドに入る前に絡みやすくなります。ネットは糸の暴れを抑える“囲い”として働き、糸をまっすぐに近い状態で送り出します。

テンションのコスト(「ちょうどいい所」を作る)
初心者が見落としがちなポイントはここです。ネットは抵抗を足します。 メッシュを被せる=摩擦が増えるため、状況によっては上糸テンションの再調整が必要になります。
- 原理: ネットの抵抗が増えるほど、糸道全体の負荷が上がります。
- 調整: 必要なら上糸テンションを少し緩めます(“やり過ぎない”のがコツ)。
- 手で分かるチェック: ネット無しで針側へ手で糸を引き、抵抗感を覚えます。ネット装着後にもう一度引き、明らかに重くなり過ぎる(急に引っ張られる感じ)なら、ネットの掛け方を見直すか、テンションを微調整します。
ハック1:小巻きスプールは「半分カット」で最適化
小巻き(200m〜)は、フルサイズのネットだと長すぎて重なりが増え、抵抗が過剰になりやすいのが悩みどころです。そこでネットを“短くして”使います。

手順:加工〜装着
- 当てて長さ確認: ネットを小巻きスプールに当て、必要な長さ感を掴みます。
- 加工: ハサミでネットをちょうど半分に切ります(1本で2本分になります)。
- 固定(重要): スプールの下側の穴/中空部に、余ったネット端を押し込んで“アンカー”にします。
- 被せる: 側面に沿わせて上へ引き上げます。
- 止める: 糸の上端の“縁”までで止めます。上のリムを越えて被せ過ぎないのが基本です。

なぜ効く?: 側面の糸層がずり落ちるのを抑えつつ、上方向への糸抜けを邪魔しません。必要以上に覆うと、糸がメッシュに当たり続けて抵抗が不安定になります。
現場のコツ:スプールの“グラつき”は別問題
小巻きが機械の糸立てピンに合わずグラつく場合、糸の抵抗以前に「スプールが揺れてテンションが脈打つ」ことがあります。
- レベル1: まずは本ガイドのネットで糸の暴れを抑える。
- レベル2(作業フロー): 単頭機で色替えが多く、段取りに時間を取られているなら、糸準備を刺繍の段取り動線に組み込みます。たとえば、枠張り(枠入れ)作業の近くに糸準備を置くと、糸送りと生地テンションの両方を同じタイミングで整えやすくなります。プロ現場では ミシン刺繍 用 枠固定台 周辺に段取りを寄せることが多いのは、こうした“再現性”のためです。
ハック2:大型コーンの糸だまりを止める「差し込み固定」
大型コーン(5,000m級〜)は縦方向に送り出す設計ですが、減って軽くなるほど糸がだらけて、側面から下へ落ちやすくなります。

手順:逆さにして差し込む
- 逆さにする: コーンをひっくり返します。
- 差し込む: ネット端を、底面の広い開口(中空部)へ押し込みます。
- 戻して設置: コーンを元に戻して台(糸立て)に置きます。コーンの重みでネットが押さえられ、ズレにくくなります。


成功の手触りチェック: 糸を少し速めに引き出します。糸がスッと切れるようにほどけ、下で輪が膨らまないのが理想です。下部に“風船”のような糸の膨らみが出るなら、ネットの差し込みが浅い/緩い可能性があります。
判断の基礎:使うべき時/使わなくていい時
スレッドネットは「とりあえず付ける」より、症状から判断した方が安定します。
判断フロー:ネットを使う? 使わない?
- メタリック/ホログラム系?
- はい: 基本はネット推奨。糸の暴れを抑え、送りを一定にします。
- いいえ: 次へ。
- 滑りやすいレーヨン?
- はい: ネット推奨。特にテーパー無しスプールは効果が出やすいです。
- いいえ(ポリエステル等): 次へ。
- スプールが古い/傷がある/ストレート形状?
- はい: 保険としてネット。糸だまり防止。
- いいえ: 次へ。
- 手で速く引くと、糸が下に落ちて台座に触れそう?
- はい: すぐネット。
- いいえ: なくても運用可能。
事前準備
成功の8割は準備です。ネットを付ける前に、糸が通る環境を整えます。
手元に置くもの(消耗品・小物)
現場ではこのあたりを手の届く所に置きます:
- スレッドネット: 当然。
- 糸切り/ハサミ: ネット加工用。
- 予備の針: 針の曲がりは糸送り不良に似た症状を出します。
事前チェック(プレフライト)
- スプールの縁: 欠け・傷・ザラつきがないか。ネットでは“バリ”は直りません(研磨するか交換)。
- 糸道の障害物: 糸立て〜ガイド間に引っ掛かる物がないか。
- 手引きテスト: 約2フィート分を手で引きます。最初から引っ掛かるなら、ネット以前にスプールの向きや設置を見直します。
セットアップ
ここからはスプール形状別に、ネットの“掛け方”を使い分けます。
セットアップA:「巻き上げ固定」(旧タイプ/ストレートスプール)
糸止めが弱い、ストレート形状のスプール向け。
- ネットを中心穴に入れます。
- 上へ引き上げて、肩〜上部に回して固定します。
- 狙い: テーパーが無いスプールでも、擬似的に摩擦を作って糸だまりを抑えます。



セットアップB:「底面ロック」(メタリック向け)
- ネットの輪を、スプールの下側(底面側)に回し、ピンに通してからスプールを載せます。
- スプールの重みでネットを押さえ、ズレ上がりを防ぎます。
- 狙い: メタリックの“暴れ”でネットが持ち上がらないようにし、常に一定の抵抗を作ります。

現場の切り分け(痛点 → 対策)
ここまでで糸送りは最適化できますが、刺繍品質は糸だけで決まりません。糸切れや縫い目の乱れを直したくてネットを使う場面が多いと思います。
ただし、ネットは「糸の送り」を整える道具で、布が上下にバタつく“フラッギング”そのものは直せません。レーヨン糸+滑りやすい素材のウェアなどで、ネット後も不調が残る場合は、枠の保持力(生地の掴み)が原因の可能性があります。
- 見立て: ネットで糸抵抗が増える(テンション側が強くなる)+枠の保持が弱い=位置ズレや縫い乱れが出やすい
- 対策: こういう時にプロはマグネット刺繍枠へ切り替えて、保持力を上げてバランスを取ります。
セットアップチェック
- スプール形状に合う方法(差し込み/巻き上げ/底面ロック)で付けた
- 見た目: ネットがシワだらけ・団子状になっていない(ムラ=テンションムラ)
- テンション補正: ネット装着後、手引きが重すぎないか。必要なら上糸テンションを微調整
- 引っ掛かり: 糸がネットのメッシュに噛んでいない
稼働中の見方とトラブルシュート
稼働中は「見る・聞く・触る」で早期発見します。
良い状態の目安
- 見た目: 糸がスムーズにほどけ、下に落ちて輪にならない
- 音: 変な“パチン”や不規則な音が減り、一定のリズムになる
- 仕上がり: 必要以上に硬くならず、糸が締まり過ぎていない

トラブルシュート表
| 症状 | 原因(起きていること) | 対策(やること) |
|---|---|---|
| 下で糸が溜まる(糸だまり) | 重力に負けて糸層が落ちる | ネット装着。 旧タイプは「巻き上げ固定」、大型は「差し込み固定」 |
| ねじれ・ループ(キンク) | メタリックのメモリーで暴れる | ネット装着。 「底面ロック」でズレ上がり防止 |
| 上糸切れ | 抵抗が強すぎる(ネットがきつい/寄っている) | ネットの掛け直し(シワを取る)。必要なら上糸テンションを緩める |
| 糸が極端に緩い/絡む | 糸道が外れてテンションが掛かっていない | 糸道を再確認(テンション部を通っているか) |
| 枠跡/シワ(パッカリング) | 糸側の抵抗増+生地側の保持不足で引っ張られる | スタビライザー(補強)を見直す/保持力の高い枠を検討 |
保管:静かに効く“予防策”
棚で糸がほどけると、外周にホコリが付きます。次に使う時、そのホコリがテンション部に入り、動きが渋くなって不調の原因になります。 対策: 保管時もネットを付けたままにします。見た目の整理だけでなく、機械の衛生管理にもなります。

稼働チェック
- 最初の100針を見る: メタリックのクセは立ち上がりで出やすい
- 大型コーンを監視: 減ってきたら差し込みが浅くなっていないか
- 音を聞く: 糸がネットに強く当たって“バタつく”音が出るなら、掛け方を調整
注意:マグネットの安全
保持力対策としてマグネット刺繍枠に触れました。業務用の強力磁石(例:hoopmaster 枠固定台 のような商用システムと併用される環境)では、磁力が強く、指を挟むと危険です。医療機器(ペースメーカー等)にも配慮し、取り扱いは針と同じレベルで慎重に行ってください。
まとめ:苦戦から“再現性”へ
スレッドネットは「レベル1」の改善策です。安価で、効果が分かりやすく、特にレーヨンとメタリックでは必携級です。
- レーヨン: 重力に負けるのを止める
- メタリック: クセ(メモリー)で暴れるのを抑える
- 小巻き: 「半分カット」で抵抗を適正化する
一方で、刺繍の安定は階層で考えると整理しやすいです。
- 消耗品: 糸とネットで糸送りを整える
- 安定化: スタビライザー(補強)を適正化する
- 保持: 必要ならマグネット刺繍枠でフラッギングを抑える
- 設備: 単頭機で大量ロットを回してテンション調整に追われるなら、ネットだけでは埋まらない効率差が出ます
まずはネットで“糸の送り”を安定させ、次に作業フロー全体のボトルネックを見つけていきましょう。
