目次
Richpeaceの工業用スケール刺繍(量産ラインの実態)
工業用の多頭刺繍は、映像で見ると「ただ同じ動きをしているだけ」に見えがちです。ですが現場の難しさは、止めずに回し続けながら、品質を崩さないことにあります。経験者にとっては、上糸テンション、摩擦、振動、素材の反発——こうした物理要因を、常に高い緊張感で管理する作業です。
映像では、Richpeaceの多頭刺繍機が、厚手の白いキルティング生地(連続ロール)に青糸で「CHEERS 5 Star」のリピート柄を刺繍しています。操作パネルには約830 RPMの運転表示があり、別カットでは850 RPM(目標値/速度アップ)と進捗が確認できます。さらに、各ヘッドのインジケーター(稼働を示すランプ)で糸切れを素早く検知している様子が映っています。

この量産デモから学べること(自社の現場に落とす方法)
これは単なるデモではなく、安定稼働の教科書です。ここで見える「工場の考え方」を、単頭機〜複数台運用の現場でも使える手順に翻訳します。
- 工程の見える化: ボーダーフレームの連続送りが、難しいロール素材でも「止めない刺繍」を成立させる理由
- 監視の要点: 830〜850RPMでオペレーターが実際に見ている/聞いているポイント(速さより安定が優先される理由)
- 切り分け思考: 「ヘッド単位」で原因を潰し、ライン全停止を最小化する考え方
- 厚物対策: 厚手キルティングで品質が決まる要因(テンション、スタビライザー、位置合わせ)
工場レベルのスループットと自社の現状を比べるなら、業務用刺繍ミシンの運用思想(段取り・標準化・復帰手順)を取り入れられているかが分岐点になります。差は「機械」だけでなく、守るべきプロトコルに出ます。
機械の注目ポイント
デジタル操作パネル:映像で分かること/分からないこと
映像では、オペレーターが操作パネルでリアルタイムの数値を確認しています。読み取れる具体値は次の2点です。
- 運転速度が830 RPM前後(00:50)
- 別画面で850 RPMとジョブ進捗(02:44)

この情報を自社で活かすには:
映像は850RPMを示していますが、これは工業ラインの「巡航速度」に近いものです。導入直後や、家庭機〜準業務機から多針機へ移行したばかりの段階で、いきなり上限付近を狙うと、針折れ・糸切れ・糸ヨレが一気に増えます。
- 立ち上げの目安(600〜750RPM): まずはここから。糸の挙動が読みやすく、摩擦熱も抑えられます。
- 音で分かる「無理」: 速度は「上げるもの」ではなく管理する変数です。一定のリズムで回っているかを耳で確認します。850RPMに上げた瞬間に金属的なバタつきや不規則な振動が出るなら、支持(固定)やスタビライザー、設置環境が追いついていません。
- 摩擦熱の影響: 速度が上がるほど針穴周りの発熱が増えます。糸が熱で弱ると、テンションが適正でも切れます。安定していた回転数まで戻す判断が重要です。
結論として、「850RPM」という数字が成立するのは、糸道・針の状態・素材支持・監視ルーチンがすでに安定している場合に限られます。
針棒・押さえ・厚手キルトが“負荷テスト”になる理由
クローズアップでは、針棒が高速で上下し、押さえが凹凸のある厚手キルティング面を追従している様子が分かります。

厚手キルティングは、現場でトラブルが出やすい代表素材です。特に次の3点が増幅されます。
- フラッギング(生地の持ち上がり): 厚み/嵩で生地が針の上昇に引っ張られ、目飛びや下糸側の絡み(いわゆる鳥の巣)につながります。
- 針のたわみ: キルト溝や厚い段差に当たると針がわずかに曲がり、針板に当たるような危険な音が出ることがあります。
- 引きずりと戻り: 支持が弱いと、文字の縁が引っ張られて丸が楕円に見えるなど、輪郭が崩れます。
映像では「CHEERS」の輪郭が比較的シャープに見えるため、少なくとも運転中はテンションと支持が安定していることが示唆されます。

厚物キルティングの扱い:支持(サポート)の“方程式”
映像では、白いキルティング生地と、連続ロールの裏材(バック材)が、大型のボーダーフレーム機構で送られていることが分かります。

現場のつまずき: 厚手キルトを一般的な樹脂フープで枠張りしようとすると、締め付けが重く、作業者の負担が大きい上に、枠跡(キルトの潰れ/テカりリング)が残りやすくなります。
一般論として(最終判断は機械マニュアルと素材条件に従ってください)、厚手・嵩高素材は次の4要素をセットで考えると失敗が減ります。
- 素材の安定性: 伸びるか/戻るか(キルティングでもニット系は伸びやすい)
- 裏材(スタビライザー)の強度: 刺繍の土台を“硬く”作れるか
- 枠張り戦略: ネジ締めで無理をしない。厚物で枠張りが苦行になっているなら、マグネット刺繍枠の検討タイミングです(厚みを潰しにくく、保持力が均一になりやすい)。
- デザイン密度: 厚物は糸が沈みやすいので、必要に応じて補正(引き補正)や水溶性トッピングで“表に乗せる”工夫が要ります。
安価な裏材は、止まりやすさ(糸切れ・ズレ・やり直し)としてコスト化します。量産ほど、裏材と支持の品質が歩留まりに直結します。
工場ワークフロー最適化
ボーダーフレーム連続生産:実際に起きていること
冒頭の要点はこれです。全ヘッド同時に縫い続けながら、ロール素材をボーダーフレームで連続送りする。

ここに工場の思考があります。
- 「1枚をきれいに作る」ではなく
- 流れ(材料搬送+監視+即時介入)で、同じ品質を時間方向に維持する
規模を上げたい現場ほど、「職人技」から「工程」に移行する必要があります。だから工場は、投入方法、消耗品、停止/復帰手順を標準化します。
監視ルーチン:ランプ・音・ミクロ確認
映像では、各ヘッドの緑ランプが点灯し、稼働状態(糸切れなし)を示している様子が見えます。

多頭運用では、全針を凝視するのは不可能です。だから監視は複合になります。
- 目視スキャン: ランプ列を流し見し、消灯/異常表示を即座に拾う
- 品質の一瞥: サテンの“縁”がまっすぐか。ギザつきはテンションや支持の乱れサイン
- 音の監視: 安定していると一定のリズムになります。変化は異常の前兆です
- 糸切れの「パチン」という変化
- 針が硬いものに当たるような鈍い音
- 下側で絡んでいるような擦れ音
注意: 高速で動く針と、移動するパンタグラフ/ボーダーフレームは刺傷・挟まれの危険があります。稼働中は針周辺と可動部に手や工具、衣類を近づけないでください。針が上下している最中に、糸端を掴みにいく行為は厳禁です。
20頭以上の糸切れ対応:切り分け→復帰→検品
映像のステップ1でも、主要な落とし穴として糸切れでラインが止まることが示され、対処として該当ヘッドのみ糸掛け直しが挙げられています。
量産では、「糸切れ」そのものよりも、復帰の仕方で不良が増えるかが勝負です。目立つ欠け・段差・ズレを出さずに戻すための、ヘッド単位ルーチン例は次の通りです。
- 該当ヘッド特定(異常ランプ+糸端の位置で確認)
- 安全停止(機械の標準停止手順に従う)
- 針の確認(曲がり/傷が疑わしい場合は交換優先。傷針は再発が早い)
- 該当ヘッドのみ糸掛け直し(テンション皿に確実に入れる)
- 再開直後の縫い目確認(ループや締まり過ぎがないか)
- 直前の良品リピートを確認(停止で欠け・段差・位置ズレが出ていないか)
同じヘッドで再発するなら、力技で回し続けないことが重要です。小さな不具合が、ロール単位の二級品に拡大します。
レイアウトが生産性を決める理由(工場の床が広いのは意味がある)
映像後半では、長い機械列と、広い通路、オペレーターの動線が確認できます。

長尺ラインでは、次が必須になります。
- 糸掛け・点検のためのアクセス
- 安全な歩行動線(可動部周辺のつまずき要因排除)
- ロールの搬送/仮置き/検反のスペース

小規模スタジオでも考え方は同じです。オペレーターの往復を減らすだけで、停止1回あたりのロスが縮みます。枠張り作業を行うなら、機械の振動域からは分けつつ、移動が短い位置に「枠固定台」を置くのが合理的です。
基礎(Primer)
830〜850RPMの「安定」がなぜ重要か
操作パネル上で、約830 RPM、別カットで850 RPMが確認できます。

この領域では、縫い目形成の物理がシビアになります。針は1秒間に十数回の出入りを繰り返し、わずかな乱れが不良として表面化します。
- 熱: 針と糸の摩擦で発熱し、素材や糸の状態に影響
- 振動: 小さなテンション差が、ループ/毛羽/サテンの乱れとして出る
- 圧縮: 厚手キルトは押さえで潰れて戻るため、上糸の座りが変わりやすい
学ぶべきは「850で回せ」ではなく、自分の条件で回すべきかです。
量産を見据えるなら、多針 刺繍ミシンの運用(消耗品の標準化、投入の標準化、点検の標準化)に寄せるほど、速度は“結果として”安定します。
準備(Prep)
工場が省かない「隠れた消耗品」と事前確認
映像上の前提として、糸掛け、連続送りへの素材セット、そして「CHEERS 5 Star」の刺繍データが必要であることが示されています。
スタート前の段取りが、停止時間を決めます。プロは「動くはず」ではなく、動く状態を作ってから回します。
- 針: 厚物は針への負荷が大きいので、異音や糸切れが出たらまず針状態を疑います(曲がり/傷)。
- 糸コーン: コーン下で糸が崩れて絡むと、速度域で一気に糸切れが増えます。糸道がスムーズか事前に確認します。
- 清掃: 糸くずがテンション周りや釜周りに溜まると、安定していた条件でも突然乱れます。作業前に目視で除去します。
停止を減らす最短手は、消耗品と清掃の標準化です。糸と裏材の品質が揃うほど、ヘッド間のバラつきも抑えやすくなります。
Prepチェックリスト(準備完了サインオフ)
- データ確認: 刺繍データを読み込み、向き/リピート条件を確認(映像は「CHEERS 5 Star」)
- 素材確認: ロールがまっすぐ供給できる位置にあり、表面に硬い異物がない
- 裏材確認: 裏材ロールがセットされ、連続送りでズレない位置にある
- 糸道確認: 糸コーンが安定し、糸が引っ掛からずに引き出せる
- 針確認: 異音/糸切れが出たヘッドは針を優先点検(曲がり・傷)
- 工具配置: 糸切り・清掃ブラシを手の届く場所に(可動部に落ちないよう管理)
セットアップ(Setup)
ボーダーフレーム/連続枠の要点:幅方向の支持を均一にする
映像では、大型のボーダーフレーム機構でキルティングロールを連続送りしています。セットアップの狙いは、時間が経っても素材が“歩かない(斜行しない)”支持を作ることです。

保持や送りのテンションが不均一だと、次が起きやすくなります。
- 位置合わせのズレ: 最初は中央でも、後半で数mm寄っていく
- 歪み: 片側だけ引っ張られ、文字が斜めに見える
- 糸切れ増: 特定ヘッドだけ負荷が増え、切れやすくなる
繰り返し案件(ロゴ、定位置、パネル物)ほど、投入の再現性が生産性を決めます。オペレーター差を減らすなら、刺繍用 枠固定台のような治具化が有効です。
厚手/キルト/凹凸素材のスタビライザー選定(考え方)
刺繍は物理です。針が与える力に対して、素材側の支持を設計します。
判断の流れ(素材 → 裏材/支持の考え方)
- 素材が不安定(伸びる/戻る)か?
- YES: 支持を強め、ズレを抑える方向で設計
- NO: 次へ
- 厚い/嵩高い(キルト、凹凸)か?
- YES: 枠跡リスクと保持ムラを意識。必要に応じてマグネット刺繍枠で均一保持を狙う
- NO: 次へ
- デザインが高密度か?(ベタ面、ステッチ数が多い)
- YES: 支持不足が即歪みになるため、裏材/支持を強める
- NO: 標準条件で開始し、初回検品で微調整
この判断を現場標準にすると、「なぜか失敗する」案件が減り、教育も楽になります。
Setupチェックリスト(セットアップ完了サインオフ)
- 枠/送り確認: ボーダーフレームがまっすぐ追従し、素材が斜行していない
- 押さえ周り: 凹凸に引っ掛からず、かつ素材が持ち上がらない状態
- テンション感: 上糸を軽く引いて、引っ掛かりがない(急にガクッと止まるなら清掃/糸道再確認)
- 表示確認: 操作パネルでRPM・座標・進捗が見える状態
- 安全確認: 機械周辺の動線が確保されている
運転(Operation)
映像の流れを現場手順に落とす(ステップ運用)
Step 1 — 全ヘッド同時で連続縫いを開始
映像で分かること: ヘッドが同期して縫い、素材がボーダーフレームで送られます。
作業: スタート。最初の数秒は停止操作にすぐ触れられる位置で監視します。 チェックポイント: 同期音が揃っているか。1ヘッドだけ音が重い/遅い違和感があれば、早めに止めて原因を切り分けます。
期待結果: ロール全幅に均一なリピート柄が入る。

Step 2 — 操作パネルでパラメータ(速度・進捗)を監視
映像で分かること: 操作パネルでRPMと進捗を確認しています。
作業: RPM表示を定期的に確認。 チェックポイント: 表示が大きく揺れる場合は、負荷や環境要因の可能性があるため、安定する回転数へ戻します。 目安:
- 立ち上げ:600RPM
- 安定域:750RPM
- 映像の運用域:830〜850RPM
期待結果: 急な変動なく、安定した運転が続く。

Step 3 — 近接で品質観察(テンション・輪郭)
映像で分かること: キルティング上で青糸の「CHEERS」が比較的クリアに形成されています。
作業: 安全距離を保ちつつ、縫い目の締まりと輪郭を短時間で確認します。 チェックポイント: 文字の欠け、輪郭の波打ち、下側の絡み兆候がないか。
期待結果: 文字が読みやすく、縫い目が揃う。

Step 4 — 環境(動線・搬送)が連続稼働を支えているか確認
映像で分かること: 広い工場床、長い機械列、作業者の動線が見えます。
作業: 下糸交換や糸掛けに回れる通路、完成ロールの置き場を事前に確保します。 チェックポイント: 完成側が床で詰まると、それ自体が停止要因になります。
期待結果: 「段取り不足の停止」なく連続運転できる。
Operationチェックリスト(運転完了サインオフ)
- 初回検品: 最初のリピートで一度止め、表裏を確認
- 速度確認: 830〜850RPM(または自社の安全速度)で安定している
- 復帰手順: 糸切れ時の手順(ヘッド特定→安全停止→糸掛け直し→確認)が共有されている
- 定期検品: ロール途中での品質確認タイミングを決めている
品質確認(Quality Checks)
仕上がりで見るべき点(映像の出力を基準に)
映像のクローズアップでは、キルティング面でも「CHEERS」の文字が比較的シャープに見えます。品質は偶然ではなく、確認して維持します。
現場向けの確認ポイント:
- テンションのバランス: 裏面で下糸の出方が極端でないか
- 文字の輪郭: サテン縁が波打たず、ギザつきが増えていないか
- 枠跡(厚物で重要): 枠張りを伴う運用では、外した後に潰れリングが残らないか
ヘッド間で品質差が出る場合は、全体設定を闇雲に変えるより、ヘッド単位で糸道・テンション・針状態を疑う方が復旧が速く、歩留まりも守れます。
繰り返し位置の量産では、保持力の再現性が品質の再現性に直結します。条件が合う現場では、マグネット刺繍枠(互換は機種/枠システムに依存)でオペレーター差を減らし、段取り時間を短縮する考え方もあります。
注意:マグネットの安全性。 強力なマグネット刺繍枠は指を強く挟む危険があります。電子機器や磁気カード等にも近づけないでください。
トラブルシューティング(Troubleshooting)
この映像はナレーションがないため、明示的に読み取れる主要トラブルは「糸切れ」です。ここでは量産向けに、低コスト(即応)→高コスト(根本)の順で切り分けできる形に整理します。
症状:特定ヘッドが停止する/糸切れ
糸端が出る、または糸切れ検知で止まる。
- 主な原因: 1) 糸掛けミス 2) 針の傷/曲がり 3) 糸の状態不良
- 即応: 該当ヘッドを糸掛けし直し(テンション部に確実に入れる)
- 再発防止: 同一ヘッドで繰り返すなら針点検/交換を優先
症状:下側で絡む(いわゆる鳥の巣)
異音が出て動きが重くなる。
- 主な原因: 上糸がテンションから外れている、または素材が持ち上がっている
- 即応: 直ちに停止し、無理に引っ張らず、下側から慎重に除去→糸掛け確認
- 再発防止: 押さえ条件と支持(裏材/固定)を見直す
症状:文字が潰れる/歪む
丸が楕円、文字がまっすぐ見えない。
- 主な原因: 素材のズレ(支持不足)
- 即応: 回転数を落として挙動を安定させる
- 再発防止: 厚物は保持ムラが出やすいので、条件によりマグネット刺繍枠で均一保持を狙う
症状:速度を上げると糸切れが増える(例:850RPM付近)
- 主な原因: 摩擦熱や振動で糸の負担が増えている
- 対処: 最後に安定していた回転数へ戻す
- 再発防止: 糸道の抵抗(引っ掛かり)と針状態を優先点検
症状:幅方向で品質が違う(ヘッドごとに差が出る)
- 主な原因: ヘッド単位のテンション差、糸道差、針状態差
- 対処: 問題ヘッドだけを切り分けて調整(全体設定を一気に変えない)
- 再発防止: 定期的にヘッド間の縫い比較を行い、差を早期に潰す
まとめ(Results)
この映像は、工業刺繍が「どうやって稼ぐか」をそのまま示しています。材料を連続で流し、多頭を同期させ、830〜850RPM域でも監視と介入で止めない。

自社に落とし込むなら、狙うべき成果は次の3つです。
- 段取りとセットアップの標準化(糸道・清掃・裏材・投入の再現性)
- ヘッド単位の復帰手順(速く戻し、欠け/ズレを残さない)
- オペレーター差を減らす設計(動線、監視ルーチン、治具化)
ボトルネックが「枠張り時間」や「作業者の疲労」になってきたら、条件と互換を確認した上で、刺繍枠の見直し(例:マグネット刺繍枠)や、tajima 刺繍ミシンのような量産前提の運用設計を比較検討する段階です。
工場の強みは機械そのものではなく、機械の周りにある“仕組み”です。仕組みを作れば、速度はギャンブルではなく管理可能な結果になります。
