目次
メタリック糸が「別物」な理由
メタリック糸は、刺繍の見栄えを一気に格上げできる反面、扱いがシビアな素材です。普段はポリエステル糸で問題なく回っているのに、金・銀に替えた瞬間に糸切れが連発し、「機械が悪いのでは?」となりがちです。
ただ、現場で経験を積んだオペレーターほど知っている通り、メタリック糸の糸切れは、機械故障というより“摩擦(ドラッグ)とテンション管理の失敗”で起きることがほとんどです。
以下では、動画で示された業務用多針刺繍機(Baby Lock Enterprise)での再現性の高いセットアップを、作業順に落とし込みます。ポイントは魔法ではなく物理です。糸が触れる場所ごとに「余計な抵抗」を減らし、テンションを必要以上に掛けない状態を作ります。

糸の構造を理解する
メタリック糸は、一般的な刺繍糸(繊維そのもの)とは構造が異なり、芯糸(ナイロン/ポリエステル等)に金属箔やフィルム状の素材が巻かれた“複合材”のようなものです。
チェックポイント(手触りで確認):メタリック糸を指で軽くしごくと、通常糸よりわずかなザラつきや硬さを感じやすく、巻き癖(メモリー)も出やすい傾向があります。
この構造が、主に次の問題を起こします。
- 毛羽立ち/剥離:針穴が小さいと、外側の箔・フィルムが擦れて傷みやすい。
- 熱の影響:摩擦で熱が出ると劣化が早く、切れやすくなる。
- 糸の“だまり(puddling)”:コーンから糸が落ちて台座付近で絡み、再始動時に一気に引かれて切れる。
つまり、やるべきことは「糸を掛ける」ではなく、メタリック糸が通れる低摩擦の糸道を作ることです。
標準針が失敗しやすい理由
動画でも最重要ポイントとして触れられているのが針です。一般的な 75/11 の刺繍針は万能ですが、メタリック糸では針穴(アイ)と溝(グルーブ)が“詰まりやすい通路”になり、摩擦が増えて糸切れにつながります。
針を太くする目的は、単に糸が通るかどうかだけではありません。布に開く穴(通路)も含めて、糸が擦れずに抜ける条件を作ることが狙いです。



必須の下準備:下糸と針
この段階で勝負が決まります。準備を飛ばすと、午後いっぱい「テンション迷子」になり、停止と糸替えで生産性が落ちます。
下糸(ボビン糸)の選び方
動画では、下糸に The Bottom Line(リントが出にくいポリエステル) を使用しています。下糸のリント(毛羽)が多いと釜周りに堆積し、下糸テンションが不安定になります。結果として縫い目のバランスが崩れ、上糸側(メタリック糸)に余計な負担が掛かりやすくなります。

黄金の準備手順(省略しない)
- 釜(ボビンフック)に注油:取扱説明書に従い、釜にオイルを1滴。
- チェックポイント:付けすぎは油跳ねの原因になります。必要最小限に。
- ボビン装填:リントの少ないポリエステル下糸のボビンをセット。
- 「カチッ」確認:ボビンケースを装着し、確実にクリック感(カチッ)が出るまで入れる。
- チェックポイント:ここが甘いと、縫製中に糸が暴れて“鳥の巣(ボビン側の糸絡み)”になりやすいです。

注意:安全面(機械作業)
針交換や釜周りの作業は、鋭利部品と挟み込みが伴います。針棒付近に手を入れる前に、必ず電源を落とす/ヘッドをロックするなど、機械の安全手順に従ってください。落とした針は見つけにくく危険なので、速やかに回収します。
90/14 Topstitch 針が効く理由
メタリック糸では標準針を避け、動画推奨の Superior Topstitch #90/14 を使います。
この針形状が有利な点
- 針穴(アイ)が大きい:糸との接触が減り、摩擦が下がる。
- 溝(グルーブ)が深い:布を貫通する間、糸が溝に収まりやすく、擦れを減らす。
- コーティング(チタン系):高回転時の負担軽減に寄与しやすい(動画ではチタンコートの説明あり)。

針交換:手戻りしない手順
多針刺繍機はスペースが狭く、針交換がやりにくいことがあります。
手順
- 針止めネジを緩める。
- 旧針を抜く。
- 新しい #90/14 を差し込む。
- 針止めネジを締める。
- 現場のコツ:動画のように大きめのピンセットを使うと、狭いヘッドでも保持しやすく、差し込み不足を防ぎやすいです。


補足(丸針軸について) 業務用刺繍機は丸針軸の針を使う機種もあります。まずはお使いの機械が指定する針規格(ニードルシステム)を優先し、その規格の中で「アイが大きい/メタリック向き」の針形状を探すのが基本です。
準備チェック(Go/No-Go)
- 取扱説明書を確認:注油ポイントを機種ごとに確認。
- 釜に注油:1滴のみ(過剰にしない)。
- 下糸(ボビン糸):リントの少ないポリエステルを使用。
- ボビンケース装着:「カチッ」を確認。
- 針を交換:Topstitch #90/14 を確実に装着。
- 工具を手元に:ドライバー、ピンセット、糸切り。
メタリック糸の正しい糸掛け
メタリック糸は、テンションを掛けすぎると切れ、緩すぎると糸がだまりやすい素材です。ここでの狙いは ドラッグ(抵抗)を減らす ことです。
糸ネットの使い方
メタリック糸は重さと滑りで、停止時にコーンから糸が落ちて“だまり”になりやすい傾向があります。再始動でそのたるみが一気に引かれると、糸切れの引き金になります。
対策:コーンに 糸ネット を被せます。
- チェックポイント:糸が上からスムーズに出る状態を保ちつつ、コーン下部で糸が崩れ落ちるのを抑えるイメージです。

「ガイド穴を飛ばす」糸掛けのコツ
糸が通るガイド(アイレット)は、1か所増えるごとに摩擦が増えます。通常糸では安定要素になりますが、メタリック糸では抵抗過多になりがちです。
動画の提案は、糸道のガイド穴を1〜2個飛ばすことです。

狙い:テンションディスクに入る前の累積抵抗を減らし、糸が“引っ張られた状態”で針に届くのを防ぎます。
機械設定の詰め方
テンションノブを触る前に、針と糸道の摩擦を先に潰すのが順序です。
上糸テンションの緩め方
メタリック糸は硬さがあり、通常糸のように布へ馴染みにくい一方で、強いテンションを掛けると切れやすい素材です。
動画の方法
- 上糸テンションをいったん全開まで緩める。
- そこから約2回転締める。

チェックポイント:この「約2回転」は機種差・個体差が出ます。まずは動画の手順を基準にし、糸切れが出る場合は微調整します。
注意:テンションを大きく動かすと、通常糸に戻す際に基準が分からなくなりがちです。普段の基準位置が分かるように、目印を付けてから調整する運用も有効です。
速度(SPM)の考え方
メタリック糸は速度を上げるほど摩擦熱の影響を受けやすく、糸切れが増えることがあります。
動画では 700 SPM で問題なく縫えています。 ただし、糸切れが出る場合は 400〜500 SPM に落とす判断が示されています。

チェックポイント(現場運用)
- 針・糸道・テンションを動画通りに整えても切れるなら、まず速度を落として原因を切り分けます。

補足(生産性とのバランス) 速度を落とすと単純な縫製時間は伸びますが、糸切れで停止・再糸掛けが増えるとトータルでは遅くなります。まず“止まらない条件”を作るのが優先です。
安定性と枠張り
メタリック糸は布の動きにシビアです。布が動くと縫い目が乱れ、光の反射でムラが目立ちやすくなります。
大枠ではスタビライザー2枚
動画では、大きめの刺繍枠を使う場合に 裏当て(スタビライザー)を2枚重ねることが推奨されています。

狙い:大枠ほど布が“トランポリン”のように振動しやすく、針の上下で布が跳ねる(フラッギング)と糸が擦れて傷みやすくなります。2枚で振動を抑え、シワ(パッカリング)も減らします。
判断フロー:スタビライザーと枠張り
- 枠サイズを確認
- 大枠ほど、動画の通り2枚重ねが有利。
- 枠跡(枠跡=枠のリング跡)や厚物の枠張りがつらい場合
- 手締めの枠は、締めムラ・疲労で再現性が落ちます。
- 対策として、マグネット刺繍枠(磁力で押さえるタイプ)を検討する考え方があります。リングで強く潰しにくく、枠跡や手首負担の軽減につながりやすいです。
注意:マグネットの取り扱い
マグネット刺繍枠は吸着力が強く、指を挟む危険があります。合わせ面に指を入れないようにし、取り扱いは慎重に行ってください。
パッカリング(シワ)を抑える
シワが出るとメタリックの“面の美しさ”が崩れます。兆候が出たら次を優先的に確認します。
- 枠張り:張りは「ピン」としているが、引っ張り過ぎない。
- 治具化:量産で枠張りの再現性が課題なら、刺繍用 枠固定台で毎回同じテンション・位置に揃える運用が有効です。
糸切れの切り分け(当てずっぽうにしない)
糸切れ時は、低コストで確認できるところから順に潰します。
1. 毛羽立ち/ほつれ(糸道・コーン周り)
症状:切れる前に糸が毛羽立つ、ザラついて見える。
- 原因候補:糸道の摩擦、コーン下での糸だまり。
- 対策:糸ネットを付ける/ガイド穴をもう1つ飛ばす。
2. パチッと切れる(テンション)
症状:前兆なく瞬間的に切れる。
- 原因候補:上糸テンションが強い。
- 対策:テンションノブを少しずつ緩めて再確認(動画の「全開→約2回転」を基準に微調整)。
3. しばらく走ってから切れる(速度・熱)
症状:30〜60秒程度走った後に切れやすい。
- 原因候補:摩擦熱の蓄積。
- 対策:700SPMから 400〜500SPM へ落として安定性を優先。

立ち上げチェック(縫い始め前)
- 糸の暴れ防止:糸ネット装着。
- 糸道の抵抗低減:ガイド穴を1〜2個飛ばす。
- デザイン確認:刺繍枠内に収まることを画面で確認。
- 安定性:大枠はスタビライザー2枚。
- 枠張り:布が均一に張れている。
- テンション基準:上糸テンションは「全開→約2回転」を基準に。
運用手順(SOP:標準作業手順)
現場でそのまま使えるよう、動画の流れを手順化します。
Step 1 — 下糸と釜の土台作り
- 作業:釜にオイル1滴。リントの少ないポリエステル下糸を装填。
- 確認:ボビンケースが「カチッ」と確実に入る。
Step 2 — 針をメタリック対応に交換
- 作業:Superior Topstitch #90/14 に交換。ピンセットを使う。
- 確認:奥まで差し込み、ネジを確実に締める。
Step 3 — 抵抗を減らす糸掛け
- 作業:糸ネットを被せ、糸掛け時にガイド穴を1〜2個飛ばす。
- 確認:糸が引っ掛からず、スムーズに送れる。
Step 4 — 枠張りとスタビライザー
- 作業:必要に応じてスタビライザーを2枚重ね、枠張りする。
- 確認:布が均一に張れている。
Step 5 — 上糸テンション調整
- 作業:上糸テンションを全開まで緩め、約2回転締める。
- 確認:通常糸より明らかに軽い抵抗感になる。
Step 6 — 縫製と速度管理
- 作業:縫い始める。安定しない場合は 400〜500SPM に落とす。
- 確認:糸の毛羽立ち・切れを監視し、問題なければ条件により700SPMも狙える。
Step 7 — 仕上げ
- 作業:刺繍枠を外し、スタビライザーを取り除く。
- 結果:メタリックの光沢が活きた仕上がり。
作業後チェック
- 初動監視:縫い始めの1分は糸の状態を重点確認。
- 速度:安定確認までは400〜500SPMを優先。
- 品質:上糸ループ/シワがない。
- 記録:うまくいったテンション・速度を次回の再注文用に残す。
まとめ:安定条件を作れば、メタリックは武器になる
釜の注油、リントの少ない下糸、#90/14 針、糸ネット、糸道の抵抗低減、上糸テンションの緩和、速度管理。この順で条件を整えると、メタリック糸は「止まる原因」ではなく「付加価値を作る糸」になります。
量産で次に効いてくる改善点:糸切れが落ち着くと、ボトルネックは枠張り時間に移ります。
- 枠張りの再現性とスピードを上げたいなら、刺繍用 枠固定台の導入を検討します。
- 刺繍枠の選定を見直すなら、刺繍ミシン用 刺繍枠の中でも、マグネット式など作業負担を下げる方式を比較すると運用が安定しやすくなります。
機械の性能を引き出すのは、糸と摩擦の条件作りです。抵抗を減らし、土台を安定させ、メタリックの輝きを狙い通りに出しましょう。
