目次
マーキングと枠張りに必要な道具
「スタート」を押す瞬間に、息を止めて“真ん中に入ってますように…”と祈ったことがあるなら、それは普通です。マシン刺繍はある意味“経験科学”で、物理(摩擦・張力・機械のロック機構)に支配されます。Tシャツ刺繍が失敗するとき、運が悪いのではなく、たいていは物理がこちらに不利に働いただけです。
元動画の手順が強い理由は、勘に頼らず「再現性のある基準」を作っている点にあります。具体的には、基準点(脇の縫い目)+視覚的なグリッド+機械的なロック(枠のノッチ/矢印)の組み合わせです。
ただし「たまたまうまくいった」を「いつでも同じ品質」にするには、道具と動作をもう一段“現場目線”で理解しておく必要があります。Tシャツは伸びるニット地です。これを刺繍枠という硬いフレームに固定し、刺繍中に動かない状態にするのが枠張りの本質です。

動画で使っているもの(作業前に手元へ)
Brother PE800(または同等の家庭用フラットベッド機)で、動画と同じ結果を出すために最低限そろえるものです。
- ミシン: Brother PE800(または同等機)
- 刺繍枠: 標準の5x7プラスチック枠
- 計測: 柔らかいメジャー(裁縫用。金属製ではなく樹脂系が扱いやすい)
- 位置合わせ: 透明のグリッド定規(枠付属のテンプレート)
- マーキング: 水で消えるペン/水溶性チャコ(青が一般的。必ず消えるものを使用)

見落としがちな消耗品&事前チェック(“謎トラブル”の原因になりやすい)
初心者は枠を見ますが、慣れている人ほど消耗品と前提条件を見ます。生地に触る前に、次の「事前点検」を入れてください。
- 針の選定(ニットは特に重要):
- ありがちなミス: 付属の汎用針(先が鋭いタイプ)をそのまま使う。
- 対策: ニットは繊維を切りやすいので、基本はボールポイント系が無難です(穴あき・糸切れの予防)。
- スタビライザーの前提:
- 動画の前提: スタビライザーはすでに貼ってある状態。
- コメントでの回答: 厚めの綿Tにはアイロン接着のカットアウェイ、薄手Tには同じものを数枚重ね。
- 枠の状態チェック:
- ネジが空回りする/割れがあると、手順が正しくても張りが作れません。枠のネジ・リングの割れを確認します。
作業負荷の現実: 標準枠はネジ締めが必要で、厚手の服ほど手首に負担が出ます。量産や毎週の作業が増えるほど、手順の最適化(道具の見直し)が効いてきます。
Tシャツの“真の中心”を出す
木工に「二度測って一度切る」があるなら、刺繍では「見た目ではなく構造で測る」です。Tシャツは洗濯やねじれで地の目がズレるため、折り目(見た目の中心)を信用しすぎるのは危険です。脇の縫い目(構造点)から測るのが安定します。

ステップ1 — 胸幅を脇縫い目から脇縫い目まで実測
- 下準備: 平らで硬い台に置き、シワをならします(引っ張って伸ばさない)。
- 基準点: メジャーの0を左脇の縫い目(脇下から少し下の縫い線)に正確に当てます。
- 計測: 右脇の縫い目まで、まっすぐ水平に測ります。
- 例: 幅が 12 inches。
- 割り算: 12 inches ÷ 2 = 6 inches。これが左右の絶対中心です。
なぜ効くのか: 縫い目は服の骨格です。生地表面が多少歪んでいても、縫い目間の距離は比較的一定です。
動画で触れている代替案(折ってアイロンで折り目)
制作者は「半分に折って折り目をアイロンで付ける」方法にも言及しています。
- 現場目線: 折りが少しでも斜めだと、その折り目が“斜めの基準線”として残ります。慣れるまでは実測が安全です。
チェックポイント:中心の見え方
- 見た目: 胸の中央に小さな点(後で消せる印)が入る。
- 確認: 首元のタグ位置は製品によってズレることがあります。タグよりも脇縫い目実測を優先します。
グリッドで位置決め(高さを決める)
透明グリッドは「検証レイヤー」です。計算で出した中心を、刺繍枠の世界(機械の中心)へつなげます。

ステップ2 — 縦の中心線を合わせ、次に高さを決める
左右(X軸)が決まったら、上下(Y軸)を決めます。
- 重ねる: グリッドをTシャツの上に置きます。
- X軸固定: グリッドの縦センター線を、ステップ1の 6 inches に合わせます。
- Y軸(高さ): グリッドを上下にスライドして、デザインの入れたい位置を決めます。
- 動画のイメージ: 子ども用Tシャツで、胸の中央付近に収まるように調整。
- 見た目で確認: 制作者は「ブロックに収まる」感覚で位置を決めています。
作業のコツ: X(中心)とY(高さ)を同時に決めようとするとズレます。まずXを固定してから、Yだけを動かします。
現場のコツ(コメント由来):枠張り後にグリッドで再チェックしてもOK
「枠張りした後に、もう一度グリッドで中心を確認しないの?」という疑問が出ています。
- 結論: やって問題ありません。安心材料になります。
- やり方: 枠張り後、内枠側にグリッドを当てて十字が中心に来ているか確認します(最終の“保険”)。
枠張りの手順(ズレないための3点基準)
ここが作業の核です。Tシャツ刺繍で斜めになる原因の多くは、締め込み中に枠がわずかに回転すること。動画の方法は、3点で回転を止めるのがポイントです。
ステップ3 — 位置合わせ用の点を3つ打つ
透明グリッドの穴を使い、水で消えるペンで次の3点を付けます。
- 中心点: ど真ん中の穴に点。
- 左の基準点: 横軸の左側に点。
- 右の基準点: 横軸の右側に点。


3点が効く理由: 中心点だけだと、枠が“車輪”のように回転できます。左右の点があると、枠のノッチ(矢印)をそこに合わせることで回転が止まり、斜めを防げます。
注意(コメントの不安):お客様が点を嫌がらない?
- 対策: 水溶性の印なら、刺繍後に湿らせた布で軽く拭き取ることで消せます(コメントで制作者も同様に回答)。
- やってはいけない: 印が残っている状態でアイロンを当てると、落ちにくくなる可能性があります。
ステップ4 — 外枠(下枠)をシャツの中に入れる(向きが重要)
- 向きの確認: 外枠(下側)を持ち、接続金具(ブラケット)側を確認します。
- ルール: 動画ではブラケットが下向きになる向きで入れています。
- 差し込み: Tシャツの中に外枠を入れ、表側の生地を上にかぶせます。
- 指で探る: 上から手でなでて、枠の“硬い縁”を感じながら、3点が開口部の中央に来るようにざっくり合わせます。

ステップ5 — 内枠(上枠)のノッチを左右の点に合わせる
- 仮置き: 内枠を生地の上にそっと置きます(まだ押し込みません)。
- ノッチ確認: 内枠の左右に、成形された矢印/V字の目印があります。
- 合わせ込み: 枠を“浮かせたまま”動かし、左ノッチ=左点、右ノッチ=右点になる位置に追い込みます。


現場のコツ: ここで急ぐと斜めになります。10秒使って左右ノッチを合わせるだけで、仕上がりが安定します。
ステップ6 — 押し込む→シワを取る→ネジを締める→もう一度シワを取る
この工程は「引っ張りすぎない張り」を作る作業です。
- 押し込み: 内枠をまっすぐ下へ押し込みます。
- 張りの作り方: 目的は“伸ばす”ことではなく“たるみ(空気)を抜く”こと。
- NG: たるんだままネジだけで解決しようとする。
- NG: ゴムのように伸びるほど強く引っ張る。
- OK: しわが消える程度に周囲を軽く引いて、面をフラットにする。
- 固定: 下側のネジを締めます。
- 再確認: もう一度、周囲を軽く整えてしわが戻っていないか確認します。



注意(標準枠あるある): 標準のプラ枠は摩擦で保持します。厚手だと押し込み時に外れやすいことがあります。
- 回避策: 押し込む前にネジをいったん緩めておき、入ってから締めます。
注意:安全第一。 ミシン稼働中は、指・道具・糸端を針周りに近づけないでください。縫製中に刺繍範囲へ手を入れるのは厳禁です。
コメント補足:「枠張りしたものを引っ張らない」と教わった
過度に引っ張るとニットは歪みます。
- 現場ルール: 引っ張るのは空気を抜くため。フラットになったら止めます。
ノッチ合わせとテンションの“ちょうどいい”を作る
ここでは「締め具合の感覚」を言語化します。
Tシャツで“締めすぎ/緩すぎ”が起きる理由
- 症状: 仕上がり周辺が波打つ(パッカリング)。
- 起点: 枠張り時に生地を伸ばした状態で縫うと、枠から外した瞬間に生地だけ戻り、縫い目が戻れず波打ちます。
- 対策(コメントの流れと一致): アイロン接着タイプのスタビライザーを先に貼ると、生地が単独で動きにくくなり、枠張りが安定します。
3点+ノッチが強い理由
「中心」と「回転(斜め)」を分離できるからです。
- 中心点=位置
- 左右点=回転止め
この分離で、「真ん中だけど斜め」を防げます。
枠張りがボトルネックなら(現実的な改善の考え方)
趣味で数枚なら標準枠で十分です。一方、枚数が増えると“締め込み作業”が時間と負担になります。
- 標準枠: 物理を理解するのに最適。
- マグネット枠: ネジ締めの変数が減り、作業が速くなります。
- 枠固定台: 同じ位置で繰り返す作業に向きます。
目安: 手首がつらい/枠張りが理由で受注を断りたくなるなら、brother pe800 用 マグネット刺繍枠 のような選択肢を検討するタイミングです。
注意:マグネットの安全。 強力マグネットは指を強く挟む危険があります。無理にこじ開けず、ずらして外すなど安全な扱いを徹底してください。
Brother PE800への取り付けと刺繍開始前の確認
枠をミシンに付けたら、ここから先は“戻りにくい工程”です。



ステップ7 — 枠を装着し、中心スタートを確認
- 装着: 枠をキャリッジに差し込み、カチッと固定されるまで入れます。
- 確認: 画面上の開始位置(中心)が、付けた中心点と合うか確認します。
現場で一番多い事故:背面まで一緒に縫ってしまう
フラットベッド機は、シャツの余り(背中側や袖)が針の近くに落ち込みやすいのが弱点です。
- 対策(コメントでの回答):
- 枠の下側から余り布(背面や袖)を引き上げる。
- 針の動線から外へ逃がして、落ちてこないように“見張る(付き添う)”。
- 縫っている最中に刺繍範囲へ手を入れない(安全上の理由)。
スタビライザーはいつ貼る?(コメントより)
- 推奨タイミング: 枠張りの前。制作者は「先にアイロンで貼ってから枠張り」と回答しています。
Tシャツ向けスタビライザーの選び方(コメントより)
コメントでの質問に対し、制作者は次の方針を示しています。
判断の目安 — Tシャツのスタビライザー
- 厚めの綿T(刺繍向きのしっかりしたTシャツ):
- スタビライザー: アイロン接着のカットアウェイ
- 薄手のTシャツ:
- スタビライザー: 同じものを数枚重ね
Prep
チェックリストは、失敗とやり直しを減らします。
事前チェック(印を付ける前に)
- 針: ニット向けの針が入っているか(摩耗・欠けがないか)。
- 下糸: 下糸(ボビン糸)が最後まで足りるか。
- 生地: ねじれをほどき、平らに置けているか(伸ばしていないか)。
- スタビライザー: 先に貼る/重ねる準備ができているか。
- 道具: メジャー、グリッド、ペン、糸切りが手元にあるか。
Setup
意識するのは「精度」です。
セットアップチェック(枠張り直前)
- 中心: 脇縫い目からの実測で中心が出ている。
- グリッド: 縦センター線が中心に合っている。
- 3点: 中心+左右の点がはっきり付いている。
- 向き: 下枠のブラケットが正しい向き(動画では下向き)。
- 視認性: 印が薄すぎず、ノッチ合わせに使える。
Operation
意識するのは「物理」と「安全」です。
作業中チェック(枠張り〜縫い始め1分)
- 枠の状態: 下枠が内側に入り、生地がねじれていない。
- 位置合わせ: 押し込む前に、左右ノッチが左右の点に合っている。
- テンション: しわがなくフラット(伸ばしすぎていない)。
- 固定: ネジがしっかり締まっている。
- 背面退避: 背面の布が針の動線に落ちないように逃がしている。
- 最初の縫い: 下縫い(下地縫い)が安定するまで目を離さない。
mighty hoop brother pe800 用 マグネット刺繍枠
Quality Checks
スタート前の最終判断ポイントです。
スタート前チェック
- ノッチ確認: 枠の矢印/ノッチが左右の点を指している。
- 巻き込み確認: 枠の下に手を入れて、表側+スタビライザー以外(袖・背面のたまり)がない。
- 速度: Tシャツのようなニットは速度を落として安定させます(動画内に具体値はないため、機械の設定はご自身の環境で安全側に調整)。
期待する結果:洗濯後もフラットで、中心が合い、背面を縫い込んでいない刺繍。
Troubleshooting
症状から原因を切り分けます。
症状:枠の目印が点と合わない
- 原因: いきなり押し込んでしまい、置く途中で生地が引きずられてズレた。
- 対策: 内枠は“仮置き”で浮かせたまま合わせ、左右ノッチが合ってから押し込みます。ズレたら押し込む前に上下へ微調整します(動画でも上下に動かして合わせています)。
症状:枠内にシワ/たるみが残る
- 原因: 締め込み不足、または整え不足。
- 対策: 押し込み後に周囲を軽く整え、ネジを締め、もう一度整えます。目的は“伸ばす”ではなく“たるみを消す”です。
症状:背面まで一緒に縫ってしまった
- 原因: 背面の布が重力で落ち込み、針の動線に入った。
- 対策: 背面を上に引き上げて逃がし、縫っている間は落ちないように付き添います(コメントで制作者が「フラットベッドは見張りが必要」と回答)。
症状:「枠張りするといつも緩くて、パッカリングが出る」
- 原因: 生地が刺繍中に動く(安定化不足)/枠内のたるみ。
- 対策: コメントの推奨どおり、アイロン接着のカットアウェイを先に貼り、薄手は重ねて安定させます。枠内は“フラット”を優先して整えます。
症状:「手順が多すぎる、ただのシャツなのに」
- 原因: 作業負荷(認知負荷)が高い。
- 対策: 趣味なら目視で済ませる判断もありです。ただ、納品品質を狙うなら再現性のための手順が必要になります。負担を減らしたい場合は、道具側(枠の種類など)で作業を軽くする発想が有効です。
Results
枠張りは慣れが出る工程です。最初は10分かかっても、10回目には2分に近づきます。脇縫い目の実測+グリッド+3点マーキングで変数を減らせば、中心ズレ・斜め・たるみの失敗が大きく減ります。
結果として、店頭品のように「中心が合っていて、フラットで、プロっぽい」Tシャツ刺繍に近づきます。
業務の現実: 受注が増えると、時間=コストになります。
- 標準枠: 物理を学ぶのに最適。
- マグネット刺繍枠: 作業スピードと身体負担の改善に有効。
- 多針刺繍機(フリーアーム): 筒状の既製服を“縫い閉じ事故”なく回すには強い選択肢。
まずはグリッド。次に3点。量が増えて手がつらくなったら、道具で負担を下げる選択肢があることも覚えておいてください。
