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なぜ「枠に入れる」ではなく「フローティング」なのか?
小さなTシャツ(特にキッズサイズ)は、刺繍デザインに必要な枠サイズのほうが大きくなりがちで、そもそも首回りを標準の刺繍枠(例:5x7、6x10)に通せないことがよくあります。無理に通そうとすると、首回りが伸びて戻らない/生地が均一に引けずデザインが傾く/枠跡(テカりや潰れたリング状の跡)が残る、といったトラブルにつながります。
業務用刺繍の現場では、こうしたケースは「フローティング(浮かせ)」が定番です。生地を枠で挟まず、スタビライザーだけを枠張りし、その上にTシャツを固定して縫います。
このチュートリアルでは、フローティングを「なんとなく固定」ではなく、再現性のある手順に落とし込みます。成功の鍵は、枠の機械的な保持力の代わりに次の3つを作ることです。
- 構造の安定(伸び止め):Tシャツ側にアイロン接着のNo Show Meshを貼り、ニットの伸びを抑える
- ベースの張り:枠に張ったCutawayスタビライザーをドラムのようにピンと張る
- 視覚的な位置合わせ:チョークの基準線+ミシン側の確認機能で、狙い位置に合わせ込む
フローティングで「ガチガチに硬くなった(スタビライザー過多)」または「シワだらけ(生地ズレ)」になった経験があるなら、たいていこの3本柱のどれかが崩れています。

準備:スタビライザーとマーキング
刺繍は準備が8割、縫いが2割です。動画では、ニット素材の不安定さを前提にした実務的な重ね方が紹介されています。
「サンドイッチ」の考え方
今回はハイブリッド構成です。
- 変数1(アンカー):アイロン接着No Show Mesh…Tシャツ側に貼り付け、以後ずっと残る“伸び止め”になります。
- 変数2(基礎):Cutawayスタビライザー…枠側に張り、ミシンの動きによる負荷を受け止めます。
1) No Show Meshを接着する(恒久的な補強)
Tシャツを裏返し、デザインより大きめにNo Show Meshをカットします。接着面(ザラつき/粒のある側)を、身頃表側の裏面(裏側)に当ててアイロンで圧着します。
チェックポイント(触感):アイロンは押さえ圧をかけて、しっかり密着させます。角が浮かないこと。端が反る場合は、温度が低い/押さえ時間が短い可能性があります。

現場のコツ(ニットの理屈):動画では針種の指定はありませんが、Tシャツのニットは糸切れや穴あきが出やすい素材です。まずはニット向けの針(ボールポイント系)を検討し、試し縫いで穴あきが出ないか確認してください。
2) 位置を測ってチョークで印を付ける(後工程をラクにする)
勘に頼らず、基準線を作ります。動画では次の寸法で座標を作っています。
- 縦方向:身頃中心を取り、上側基準から150 mm下を目安に高さを決める
- 横方向:その高さで水平の基準を取り、中心から左右に振る
- 安全域:総幅180 mm(中心から左90 mm/右90 mm)で外枠を作り、脇に食い込まない範囲を可視化
- 「水平ガイド」:マーキング範囲の下側に、短い水平のダッシュ(短線)を2本入れる


下側のダッシュが重要な理由:枠に載せた状態は目の錯覚で傾きやすいのですが、この短線があると、刺繍枠の直線エッジに対して「平行」を取りやすくなります。
見落としがちな消耗品&事前チェック(省略しない)
フローティングは通常の枠張りより手作業が増えるため、手元に揃えておくと事故が減ります。
- 下糸(ボビン糸):動画でも「満タンにしておく」ことが強調されています。フローティング中のボビン交換は、ズレの原因になります。
- ピン:ニットに引っかけにくい細めのピンが扱いやすいです。
- 印付け:生地色とコントラストが出て、あとで消せるものを選びます。
日々の作業で測定と印付けが負担になってきたら、刺繍用 枠固定台を導入して基準化すると、同じ高さ・同じ中心を取りやすくなります。
準備チェックリスト(準備完了)
- 下糸:下糸(ボビン糸)は十分に巻けている?
- 接着:No Show Meshがフラットに密着(浮き・気泡なし)?
- マーキング:中心線+下側の平行ダッシュが見える?
- クリアランス:ミシン周りに引っかかる物がない?

フローティング手順(ステップ・バイ・ステップ)
ここは「柔らかいTシャツ」と「硬い刺繍機」の接点を作る工程です。枠跡を避けつつ、ズレない状態を作るため、順番通りに進めます。
Step 1:スタビライザーだけを枠張りする
中厚程度のCutawayスタビライザーを枠に張ります。Tシャツ本体は枠に挟みません。
- 枠ネジを緩め、スタビライザーが入る程度の隙間を作る
- 外枠にスタビライザーを載せる
- 内枠をはめ込む
- ネジを締める
- 端を軽く引いてたるみを取る
- 最後までしっかり締める

チェックポイント(張り):スタビライザーは「ドラムの皮」のようにピンと張るのが理想です。たるみがあると、縫い中に上下にバタつき(フラッグ)が出て、目飛びや糸切れ、位置ズレの原因になります。
Step 2:Tシャツを裏返して、表側を下に置く
Tシャツを裏返しにします。初心者には逆に感じますが、チョーク線が見やすく、余った生地を逃がしやすくなります。身頃の前面(チョークがある面)を、枠に張ったスタビライザーの上に置きます。

Step 3:下側のチョークダッシュを枠のエッジに平行合わせ
ここで「水平ガイド」が効きます。下側のチョークダッシュが、刺繍枠の内側下辺(プラスチックの直線)と平行になるようにスライドさせます。

現場のコツ(精度):目視だけで決めず、枠のエッジからチョーク線までの距離を左右で測り、同じ数値になっているか確認します。
Step 4:まず下側をピン留め→余り生地を巻いて逃がす
最初に下側をピンで固定すると、回転(傾き)が決まりやすくなります。上側から留めると、ねじれやすいので注意。下側が固定できたら、余った生地を巻いて上に逃がします。

Step 5:「窓」を作って、縫い範囲から徹底的に退避させる
針が動く範囲を安全地帯にするイメージで、左右と上側の生地を引いて留め、刺繍する部分だけが見える“窓”を作ります(動画ではハート形/楕円形のような開口)。

注意:ピンは危険物
縫い範囲にピンが入ると、針が当たって折損する恐れがあります。必ずチョーク線と縫い範囲から十分離し、針の移動範囲に入らない位置に留めてください。
チェックポイント(触感):刺繍エリアはフラットであること。ただし、Tシャツを引っ張って張りすぎないこと。張りはスタビライザー側で作り、Tシャツは“自然に乗っている”状態が理想です。
Step 6:かさばる状態のまま、慎重に枠を装着する
裏返してピン留めしている分、厚みと引っかかりが増えます。枠をアームに装着するとき、押さえ周りに布が噛みそうになっていないか確認しながら差し込みます。

作業効率の分岐(ピン留め疲れのサイン) 1枚ならピンでも回りますが、枚数が増えるとボトルネックになります。作業の標準化・時短を狙うなら、マグネット刺繍枠のようなマグネット刺繍枠で固定工程を短縮する選択肢もあります。
ミシンの位置合わせ機能を使う
ここまでで「だいたい真っすぐ」になりました。次はミシン側の機能で「狙い通り」に詰めます。動画ではBrother Stellaireの画面操作で、針位置を基準線に合わせています。
Step 7:Top Center(上中心)に合わせる
ミシン画面でデザインの基準点をTop Centerに設定し、矢印キーで枠を動かして、針落ち(または画面の照準)が上側のチョーク線に合うように調整します。

重要ルール:動画でも強調されている通り、基準線より上に行かないこと。上にズレるより、わずかに下に入るほうが安全です(首回りに近づきすぎるのを防げます)。
Step 8:Bottom Center(下中心)で真っすぐを確認する
次に基準点をBottom Centerに切り替え、針落ちが下側の基準に対して左右にズレていないか確認します。
- A:チョーク線上に落ちる → 縦方向の整列OK
- B:左右にズレる → Tシャツが回転している(傾き)

補正:傾いている場合、ピンを外してやり直す前に、ミシン側の回転(Rotate)でデザイン角度を微調整する方法があります。再ピン留めより早く収まることがあります。
機材メモ:アフターマーケット品を選ぶ場合は、機種に合う枠を選定してください。例:brother stellaire 用 刺繍枠。
仕上げ:裏面をきれいに、肌当たりを良くする
Step 9:縫い開始。安全管理は「監視」が前提
スタートしても放置しません。フローティングは、枠の移動で巻いた生地が戻って針側に寄るリスクがあります。
- 停止できる姿勢:いつでも止められるように手を添える
- スタイラスを使う:布が近づいたら、指ではなくプラスチックのスタイラス等で押し戻す

注意:指を近づけない
動作中の針の近くで指で布を押さえるのは危険です。動画でもスタイラス使用が示されています。必ず道具で退避させてください。
チェックポイント(画面):動画では、画面上のグリーンの照準(クロスヘア)を見ながら、次に針が向かう方向を予測しています。区切り(文字の切り替わり等)ごとに、布が縫い範囲に入っていないか再確認します。
Step 10:ピンを外してから枠を外す→裏返して確認
縫い終わったら:
- 枠をミシンから外す
- 先にピンを全部外す(刺さり防止)
- 枠から外す
- 表に返す

チェックポイント(見た目):アウトラインと塗りがズレていないか、全体が傾いていないかを確認します。ズレが出た場合は、スタビライザーの張り不足や、ピン留め時にニットを引っ張った可能性があります。
Step 11:Cutawayを縫い目際でトリミング(縫い糸は切らない)
もう一度裏返し、Cutawayスタビライザーを縫い目の近くでカットします。動画でも「近くまで切るが、縫い糸とTシャツは切らない」ことが強調されています。

最後に、接着したNo Show Meshの角をめくり、余分な部分をトリミングして四角い“パッチ感”を減らします。角を丸めると、着用時に角が目立ちにくくなります。
結果:肌当たりを柔らかく保ちつつ、洗濯耐久性に必要な補強は残せます(特にキッズ用途で重要)。
道具のアップグレード:通常の枠で枠跡が気になる場合は、機種に合うマグネット刺繍枠 brother stellaire 用など、マグネット刺繍枠の検討も選択肢になります。
品質チェック(「良品」の基準)
納品前(または家族用でも)に、最低限ここを確認します。
位置精度
- センター:胸の中心線に対して視覚的に中央か
- 水平:裾に対して水平か(左右の距離を測って確認)
- 高さ:意図した落とし(例:150mm)になっているか
生地の安定
- シワなし:周囲に引きつれ・波打ちがない
- 盛り上がりなし:極端にカップ状に膨らんでいない
- 位置ズレなし:アウトラインと塗りが合っている
裏面の快適性
- 糸端:長い糸端が残っていない(必要に応じて短く)
- スタビライザー端:ギザギザがなく、肌に当たりにくい
- 接着:No Show Meshが周囲でしっかり密着している
判断フロー:生地→スタビライザー(小さなTシャツ向け)
同じレシピを全てに当てないための考え方です。
- 伸縮するニット(Tシャツ等)か?
- YES: 次へ
- NO(布帛・デニム等): No Show Meshを省略し、TearawayまたはCutaway単体でも成立する場合があります
- デザインが高密度か?(例:塗りが多い)
- YES: No Show Mesh(Tシャツ側)+中厚Cutaway(枠側)
- NO(軽い文字など): No Show Mesh(Tシャツ側)+Tearaway(枠側)
- 量産(10枚以上)か?
- YES: マグネット刺繍枠などで段取り時間の短縮を検討
- NO: 本文のピン留めフローティングで十分
トラブルシューティング(症状→原因→対処)
| 症状 | ありがちな原因 | その場の対処 | 予防 |
|---|---|---|---|
| 周囲がシワっぽい | ピン留め時にニットを引っ張った | 仕上げで軽くプレス(改善する場合あり) | 生地は引っ張らず“自然に置く” |
| アウトラインと塗りがズレる | スタビライザーの張り不足(フラッグ) | 基本的に後から修正不可 | 枠張りをドラム張りにする |
| 針が折れる | ピンに当たった/厚みが干渉 | 即停止し、破片を除去して再開準備 | ピンは縫い範囲から十分外へ退避 |
| 縫い中に枠が外れそう | ネジの締め不足/かさばりで保持力不足 | 即停止して枠張りやり直し | ネジを確実に締める。必要に応じてフローティング用 刺繍枠の考え方(固定方法の見直し)も検討 |
| デザインが右に傾く | 装着時にTシャツが回転 | 画面で回転補正 | 下側ダッシュで平行を取り、Bottom Centerで確認 |
作業効率メモ(量産を見据えるなら)
ピン留めフローティングは必須スキルですが、量産では伸びしろがあります。
現場の進化イメージ:
- 趣味〜小ロット(レベル1):ピン+チョークで対応。コスト低/時間高
- 準量産(レベル2):マグネット刺繍枠 用 枠固定台で位置決めを標準化し、段取りを安定させる
- 量産(レベル3):マグネット刺繍枠で固定を高速化し、枠跡リスクも下げる
注意:マグネットの安全
ネオジム磁石は非常に強力です。
* 挟み込み注意:指を挟まないよう、ゆっくり着脱
* 医療機器:ペースメーカー等に近づけない
* 電子機器:スマホやカード類に近づけない
作業チェックリスト(運用完了)
- 安全域:ピンが縫い範囲の外にある
- 窓:余り生地を巻いて固定できている
- 位置合わせ:Top CenterとBottom Centerで針落ち確認済み
- 監視:スタイラスを手元に置き、縫い始めを見守る
まとめ(得られる結果)
フローティングとスタビライザーの組み合わせで、「小さすぎて枠に入らない」問題を現実的に解決できます。
- 首回りの伸びを防ぐ(無理に枠へ通さない)
- 枠跡を回避する(生地を枠で挟まない)
- 洗濯耐久性を確保する(No Show Mesh+Cutawayで支える)
この手順を一度“型”として覚えると、サイズの小さい衣類でも安定して対応できます。作業量が増えてきたら、フローティング用 刺繍枠の運用最適化やマグネット刺繍枠の導入など、道具側を進化させて「同じ品質を短時間で」出す方向に寄せていきましょう。
