目次
マルチフーピングとは?なぜ必要?
大きくて魅力的なデザインを開いたのに、刺繍枠の最大サイズを超えていて「これ、枠に入らない…」となった経験があるはずです。これが現場で言うところの“枠の上限(hoop ceiling)”です。
マルチフーピングは、そのギャップを埋めるための方法です。1つの大きなデザインを、刺繍できる範囲ごとに複数の「タイル(各フーピング)」へ分割し、順番に縫い進めて、最終的に1つの絵柄としてつなげます。
Hatch Embroidery 2のマルチフーピングは、設計思想が明確です。「必要な枠替え(再枠張り)回数をできるだけ少なくしつつ、デザイン全体をカバーする」こと。そのうえで、各フーピングを個別の機械ファイルとして出力します。
このチュートリアルでは、単一枠では収まらないリース(wreath)デザインを例に進めます。ソフト上のデザインサイズは 194.88 mm(幅)× 205.81 mm(高さ)。ここから先は「便利機能」ではなく、位置合わせ精度を作るための必須スキルになります。特に高価な生地や一点物の案件では、やり直しが効きません。
現場の現実チェック: ソフトは数学的に正しく分割できますが、ミシンが頼るのは“あなたの枠張り精度”です。毎回まったく同じ向き・同じテンションで再枠張りできる前提で進みます。
- つまずきポイント: 従来のネジ式フープは、再枠張りのたびに生地目が引っ張られたり、枠跡(生地のつぶれ)が出やすかったりして、位置ズレの原因になります。
- 改善策: そこでプロがよく使うのが マグネット刺繍枠 です。ネジを締めながら引っ張って歪ませる動作がなく、上から均一にクランプできるため、マルチフーピングの位置合わせが安定しやすく、デリケートな素材でも安全側に寄せられます。
Hatch Embroidery 2での枠設定(テンプレート選択と基本の見方)

マルチフーピングモードに入る(「緑=OK」の表示ルールを覚える)

Hatchでは、マルチフーピングは単なるツールではなく、左側のToolboxから切り替える“専用表示モード”です。
- Toolboxで Multi-Hooping をクリックします。
- 画面の反応を確認します:枠内に入っているオブジェクトは緑、枠外は黒で表示されます。
表示の読み方(作業者向けの共通言語): 緑のステッチは「この枠位置で縫える=安全」という意味です。
- 緑: 現在選択している枠位置の範囲内(縫える)
- 黒: 現在の枠位置では範囲外(この工程では縫われない)
- 赤い破線: 枠の境界。ここに触れる配置は、枠干渉(針が枠に当たる)リスクを上げます。境界ギリギリは避けるのが基本です。
正しい枠テンプレートを選ぶ(実物の枠と一致させる)

ここは“現物合わせ”が必須です。ソフトのテンプレートは、机の上にある実際の刺繍枠(樹脂枠でもマグネット枠でも)と一致していなければ意味がありません。
- 枠アイコンを右クリック(または Select Hoop を選択)します。
- 使用するミシンメーカーと枠サイズを選びます。
- 例では BERNINA Large Oval(255 × 145) を選択しています。
注意(安全面): マルチフーピングは幾何学です。Hatchで200mm相当の枠テンプレートを選んだのに、実機に180mm枠を付けたままだと、針が枠に当たる可能性が現実的に出ます。テンプレート=手元の枠を必ず一致させてください。
準備:ソフト作業でも“段取り”が精度を決める(書き出し前の確認)
このチュートリアル自体はソフト操作ですが、マルチフーピングの成否は準備で決まります。分割を始める前に、最低限ここを押さえます。
チェックポイント(書き出し前に確認):
- 枠の一致: ソフトの枠テンプレートは、実物の枠サイズ・メーカーと一致している
- 表示理解: 緑=枠内、黒=枠外を理解している
- 生地の向き管理: 再枠張りで“生地そのもの”を回してしまわないよう、向きの基準を決めている
- レジストレーションマーク: 2回以上のフーピングなら、基本は付ける方針にしている
注意(作業安全):
マルチフーピングは枠替え回数が増え、針周辺に手を近づける機会も増えます。再枠張りや糸処理の際も、押さえ周りに指を入れないこと。稼働中に糸端を引くのは厳禁です。
方法1:手動で枠位置を配置して精度を取る
手動配置は「狙って割る」方法です。顔・小文字・細いサテンなど、割り線を通したくない要素があるときに特に有効です。
手順:移動→追加→回転

- 枠の境界線をドラッグしてデザイン上に移動します。
- 基準の取り方: まずはデザイン内の最大要素/中心要素を確実に緑にします(見た目の基準ができ、後工程の判断が楽になります)。
- Add Hooping をクリックして、2つ目の枠位置を作成します。

- 回転の操作: 枠境界を2回クリックして回転ハンドルを出し、角度を付けられる状態にします(必要に応じてContext toolbarの回転操作も使います)。
- 斜めの枝や文字など、角度が付いた要素を枠内に収めるように回転します。
- すべてのステッチが緑になるまで、枠位置の追加と調整を繰り返します。

チェックポイント: 画面を“点検”してください。小さな黒い点が1つでも残っていると、その部分は最終的に欠けます。
手動レイアウトを計算して検証する

見た目で全部緑になったら、必ずソフトに計算させます。
- Calculate Hoopings をクリックします。
- Hatchが「すべてのステッチがどこかの枠に含まれているか」を検証します。
- 結果として、フーピング回数(例:4 hoopings)がダイアログで表示されます。
手動が強い理由: 割り線(つなぎ目)を“見えにくい場所”に置けます。密な塗りつぶしのど真ん中より、空きや細い要素の近くに寄せた方が、わずかなズレが目立ちにくくなります。
現場の現実:再枠張りの物理(ズレは累積する)
手動ワークフローで最大の敵は、生地の歪みです。枠から外すたびに生地は戻り、再枠張りでわずかに伸び縮みします。1mmの差でも、回数が増えるほど累積します。
改善の方向性: 厚みのある縫い代が噛む、ネジ式で締めるたびに枠跡が出る、という場合は“腕”ではなく“治具・枠の特性”の問題であることが多いです。そこで 刺繍ミシン 用 マグネット刺繍枠 のように、上から均一に押さえる方式に切り替えると、再現性が上がりやすくなります。
方法2:自動配置でスピードを取る
自動配置は「計算に任せる」方法です。Hatchのアルゴリズムが、カバーできる枠位置を自動で作ります。
手動枠を消して、自動配置を実行
効率重視の流れは次の通りです。
- 手動で置いた枠を削除して、いったんリセットします。
- Embroidery Settings > Multi-Hooping を開きます。
- 重要: Optimize color changes にチェックを入れます。
- Automatically Add Hoops をクリックします。

すぐに、複数色の枠境界が自動生成されます(重なりも含めて表示されます)。

成功の目安: 全体がカバーされ、緑表示が途切れないこと(黒が残らないこと)。
自動結果をプレビューして、ムダな分割を見抜く

Preview Hoopings で、各フーピングの内容を分割表示して確認します。ここは必ず“批判的に”見ます。
自動配置で起きがちなこと: アルゴリズムは「カバー」を優先するため、小さな葉っぱ1枚だけ、文字1文字だけのために1フーピングが作られることがあります。
- コスト: その1要素のために、枠外し→再枠張り→位置合わせ→試し針落とし…という段取りが増えます。
- 対処: 非効率だと感じたら、自動結果を消して手動(方法1)に戻し、近い枠にまとめます。例では、フーピング数が 10から8に減ることが示されています。
補足(段取りロスが利益を削る)
現場では、刺繍速度(SPM)よりも「止まっている時間」が効きます。枠替え・位置合わせの回数が増えるほど、総工数が伸びます。
ミシン刺繍 マルチフーピング を詰めるなら、ソフト設定だけでなく、枠替えを安定させる道具側の制約も見直すのが近道です。
色替え最適化で、段取りミスとロスを減らす
マルチフーピングは「回数が増える=リスクが増える」作業です。フーピングが増えるほど、色替え・糸切り・触る回数が増え、ズレの芽も増えます。
このチュートリアルの要点はここです。
- Embroidery Settings > Multi-Hooping >「Optimize color changes」にチェック
「色替え最適化」が守ってくれるもの
この設定がないと、フーピング1で赤→青→赤…のように、工程をまたいで色が行ったり来たりすることがあります。 最適化を有効にすると、幾何学的な制約の範囲で、色順が無駄に散らばらないように整理されます。
また、色替えが減る=生地に触る回数が減る、という意味でも有利です。特に伸びやすい素材ほど、触る回数の差が位置ズレに直結します。
多くの人が 刺繍ミシン 用 枠入れ の基本でつまずきますが、設定(最適化)と段取り(触る回数を減らす)をセットで考えると、失敗率が下がります。
レジストレーションマーク付きで分割ファイルを書き出す
書き出しは単なる保存ではなく、ミシンが追従する「工程地図」を作る作業です。
書き出し前にプレビューで最終点検
最後に Preview Hoopings で確認します。
- Hooping #1の内容は妥当か
- Hooping #2は#1とつながる位置関係か
- 1つだけ浮いた“孤立ステッチ”がないか
分割された機械ファイルとして書き出す

- Export Design をクリックします。
- 機械ファイル形式(例:.EXP、.PES、.DST)と保存先を選びます。
- Hatchが最終チェックを行います(全オブジェクトがカバーされているか等)。

レジストレーションマーク=位置合わせの保険
このチュートリアルでは Registration Marks の追加が強く推奨されています。出力時に、位置合わせ用の小さな赤い十字(または角印)が付与されます。

使い方(考え方): Hooping #1で縫われたマークを基準に、Hooping #2で針位置を合わせます。マークがないと、目視と勘に頼る割合が増えます。

期待される結果: Wreath_01、Wreath_02 のように、フーピングごとのファイルが複数生成されたフォルダができます。
現場の位置合わせのコツ(ソフトが代わりにやってくれない部分)
ソフトは地図を作りますが、運転するのは作業者です。
- チェックポイント: Hooping #2の位置合わせでは、手回し(ハンドホイール)で針を落として、Hooping #1のマーク穴に正確に入るか確認します。既存の穴に入ると、感触として“スッ”と落ちる感じが出ます。
- クランプの差: ネジ式フープで締め込み中に生地がズレる場合、マグネット刺繍枠 使い方 の考え方(位置を合わせてから、上から一気に固定する)と相性が良いです。締め込み中の“ドリフト”が起きにくくなります。
注意(マグネットの安全):
マグネット枠は強力な磁力を使います。指を挟む危険があるため、着脱時は指の位置に注意してください。また、医療機器(ペースメーカー等)を使用している場合は取り扱いに配慮が必要です。
スタビライザー選定:マルチフーピング向けの考え方
マルチフーピングでは、スタビライザー(刺繍用の安定紙・裏打ち)の選択が位置ズレに直結します。合わない選択は、ズレを“確定”させます。
スタート:
- 伸びにくい生地(デニム、キャンバス、ツイル)?
- YES: Tearaway(2枚)または標準のCutaway。枠張りのテンションを一定に。
- NO: Step 2へ。
- 伸びやすい/不安定(Tシャツニット、鹿の子、スパンデックス)?
- YES: 接着タイプのメッシュCutawayを背面に貼ってから枠張り。枠張り中に生地を引っ張らない。
- NO: Step 3へ。
- 毛足がある/柔らかい(タオル、ベルベット等)?
- YES: 上に水溶性トッピング+枠跡を抑えるクランプ方法を検討。
- NO: 標準のCutawayを基準に、テンションを一定に。
生産性の補足: 繰り返し作業が多い現場では、マグネット刺繍枠 用 枠固定台 のように枠下側を固定し、毎回同じ位置・同じ条件で枠張りできる環境を作ることがあります。
トラブルシューティング
よくある失敗を、症状ベースで整理します(低コスト対策→高コスト対策の順)。
1. 症状:黒いオブジェクトが残る/「カバーされていない」
原因の目安: どの枠位置にも入っていないステッチがある。
- 対処(即): 手動で枠境界を動かし、該当箇所が緑になるまで調整。
- 対処(次): 枠を回転して斜め要素を拾う。
- 最終手段: どうしても入らない要素は、Splitting Guideでオブジェクト自体を分割して対応。
2. 症状:つなぎ目に隙間(白いスジ)が出る
原因の目安: 前工程の枠外し後に生地が戻った/再枠張りでテンションが変わった。
- 対処(準備): より安定するスタビライザーを選ぶ(接着タイプ等)。
- 対処(手順): 生地を“引っ張って張る”のではなく、平らに置いて固定する。
- 予防: 毎回同じ枠張り手順・同じテンションを守る。
3. 症状:自動配置でファイル数が多すぎる
原因の目安: オブジェクト順に忠実すぎて、非効率な分割になっている。
- 対処: 自動結果を採用せず削除し、手動(方法1)で近い要素をまとめる。
4. 症状:ソフト上は合っているのに、実機でズレる
原因の目安: 縫っている最中に生地が枠内でわずかに滑る(枠内ズレ)。
- 対処: 樹脂枠なら内枠に滑り止め対策を検討。
- 改善案: 刺繍用 枠固定台 のような固定台運用、またはマグネット枠で均一にクランプする方法を検討。
刺繍中チェックリスト(縫い進め時)
- 順番厳守: File_01→File_02…の順で縫っている(順番を飛ばさない)
- マーク確認: レジストレーションマークを縫っている(位置合わせの基準が残っている)
- 再枠張り後の確認: 次工程に入る前に、マーク穴へ針落としで合致確認をしている
- 糸端処理: 開始・終了の糸端を都度処理し、次工程で巻き込まない
- 記録: 使用した枠と設定(最適化の有無、フーピング数)をメモして再現性を作る
まとめと次の一手
この手順で、マルチフーピングを「勘」ではなく「手順」で回せるようになります。
- 緑/黒のフィードバックでカバー範囲を判断できる
- 手動配置で割り線をコントロールできる
- 色替え最適化で段取りロスを減らせる
- レジストレーションマーク付きで、実機の位置合わせ精度を上げられる
マルチフーピングは一点物や少量案件で強力な武器です。一方で、日常的に量産で回すほど枠替え工数が利益を圧迫します。その壁に当たったら、ソフトだけでなく、枠(クランプ方式)や固定環境など“ハード側の再現性”も含めて見直すのが現場の定石です。
