目次
準備:下絵の取り込みとサイズ調整
リアルな「目」は、要素が多くて有機的。初見だと「針数が増えそう」「ぐちゃっとしそう」と身構えがちです。ですが、刺繍データ作りは結局のところ“糸で描くスケッチ”を、機械が無理なく走れるように制御する作業です。
この記事では、動画の流れを「現場で再現できる手順」に落とし込み、Single Run(ラン)で線をつなぎ続けるスケッチ方式で、人の目をデジタイズしていきます。このやり方が重要なのは、トリム(糸切り)を減らせるからです。トリムは時間がかかるだけでなく、下糸側の糸溜まり(鳥の巣)リスクも上げます。さらに、手描き風の表現は多少の揺らぎを“味”として吸収してくれるため、実務でも扱いやすいのが利点です。

この記事でできるようになること(注意点も含めて)
本記事は「機械に負担をかけにくく、糸切れやズレを起こしにくい」流れに寄せています。具体的には次を行います。
- 下絵の段取り: 参照画像(スケッチ)を取り込み、有効サイズを約3.5インチに合わせる(5.5インチ枠に余裕を持って収める)。
- 連続パスの基本: Single Runで“ペンを離さない”感覚でまつ毛・輪郭を描き、ジャンプを減らす。
- 重ね順で立体感: グレー → 白 → 黒の順に縫う前提で、層を組む。
- 質感づくり: 眉はFill角度で毛流れを作り、虹彩はランの手描きで“ムラ”を作る。
- エッジ整理: Travel on Edgeで塗り形状の境界を整える。
- 密度事故の回避: いわゆる「Bulletproof(カチカチ)」を作らない。
ゴール: 見た目は複雑でも、実際はロゴのようにスムーズに走る(止まらない・切らない・荒れない)データにすること。

「最初にサイズを決める」が想像以上に重要な理由
動画では、1針も置く前に下絵を約3.5インチへ調整しています。これは「枠に入れるため」だけではなく、縫い品質に直結する重要工程です。
スケールの物理: たとえば10インチで作って後から3.5インチへ縮小すると、ステッチ間隔だけが詰まり、糸の太さ(一般的な40番など)は変わりません。結果として糸同士がぶつかる(詰まる)状態になり、輪郭が太い塊になったり、陰影が濁ったりします。
ルール: 仕上げたい実寸で作る。左胸なら3.5〜4.0インチ、など用途のサイズを先に固定してからデジタイズします。

「ジャンプしない」ための基本:Single Runでつなぎ続ける
このデザインの背骨は連続パス(Continuous Pathing)です。紙にペンで描くとき、ペンを離すたびに罰金が発生する…と想像してください。刺繍では、その“ペンを離す”がトリムです。トリムは生産時間を伸ばし、下糸側のトラブル原因にもなりやすい。
基本戦略: 1本の毛(線)を描く → 同じ線を戻って重ねる → 次の毛へ移動、を「できるだけ1オブジェクト内で」つなげます。
動画の設定(再現用)
安全に同じ動きをするため、動画内の要点を設定として整理します。
- ステッチ種: Single Run(手動ラン)
- ステッチ長: 3.0mm
- 補足: 短すぎるとカーブで針が密集しやすく、スケッチ表現が“塗り”っぽくなります。3.0mmは流れが出やすい設定です。
- 入力: フリーハンド(ペンタブ推奨。マウスでも可能だが根気が必要)
- 見やすさ: 下絵が黒系なので、作業中は糸色を赤など高コントラストにしてパスを見失わない

連続ラインの“スケッチ”手順(実際の手の動き)
暗い輪郭・まつ毛をデジタイズするときは、次の順で進めます。
- 起点: 毛の根元など、太さが欲しい側から開始
- ストローク: Single Runで先端へ向けて引く
- 戻り: 同じ線をなぞって根元へ戻る
- チェックポイント: 2往復目で“太さ”が出ます。幅を増やすのではなく、線の存在感を上げるイメージ。
- 移動: まぶたのラインに沿って次の毛の位置へつなぐ
- 繰り返し: 次へ届く限り、右クリック等でオブジェクトを切らずに続ける
動画では、接続点に小さな丸い表示が出ます。これは「同一パスとしてつながっている」合図で、機械が止まってトリムするのではなく、一定のリズムで縫い続けられる“安全なつなぎ”の目印になります。

現場チェック:リアルさを落とさず密度を上げすぎない
リアル系で一番多い失敗は、密度過多で生地が板のように硬くなる状態(動画内でも“Bulletproof”と表現)です。針熱・糸切れ・生地の歪みにつながります。
スケッチ運用の安全ルール:
- 同一点の往復は最大2回まで(必要以上に重ねない)
- 画面の白を埋めようとしない:刺繍は立体で、糸の影が“埋まり”に見えます。画面で大きく見える隙間が、縫うと気にならないことは多いです。
- 触感の目標: 仕上がりが生地と一緒にしなること。ワッペンのように立ってしまうなら重ねすぎ。
よくある質問(コメントより要約):『トリム(糸切り)は何回?』
トリム回数は、現場だと段取りとトラブル率に直結するため気にされがちです。動画の狙いは「そもそも切らなくて済むようにつなぐ」ことで、トリムが増えがちな構造を避けています。
なぜ効くのか(運用面):
- 家庭機/単頭機: トリムが減るほど、糸抜けや下糸側の糸溜まりリスクが下がる
- 業務: トリムの停止時間が積み上がると、そのまま原価に跳ね返る。連続パスは“針が止まらない”設計です。
色を重ねて奥行きを作る
リアルさは線の細かさより、光と影の重なりで出ます。動画は分かりやすい3色構成(黒・グレー・白)で“立体感”を作っています。
- グレー: 形と中間調(下地・陰影)
- 白: ハイライト(光の反射)
- 黒: 最終の輪郭とコントラスト
黒レイヤー:まつ毛+輪郭(デジタイズは先、縫いは後)
動画では黒(作業中は赤表示)から描き始めます。ここがポイントで、描く順=縫う順ではありません。輪郭を先に作ると、後から陰影やハイライトを入れる際の“塗り絵の枠”になります。
白レイヤー:ハイライトだけ(下地が必要な条件)
白糸の部分は、見やすさのため一時的に緑で表示して作業しています。
「白ベースを入れるか」判断: 動画では試し縫いが白生地なので、白目全体の塗り(白ベース)を省略しています。ここは実務で必ず分岐します。
- 白い生地: 省略してOK(生地を白として使う)
- 色物(例:黒いパーカー): 白ベースがないと線が沈んで見えにくい。必要に応じて白の塗りを検討
安定性(枠張り)の話: スケッチ系はベタ塗りより“生地を押さえ込む力”が弱く、ズレ(位置合わせ崩れ)が出やすい傾向があります。ここはソフト設定だけでなく枠張りが効きます。一般的な摩擦式の枠だと滑ることがあり、現場では厚物・伸縮物の安定のためにマグネット刺繍枠へ切り替えるケースもあります(周囲を均一にクランプできるため)。

グレーレイヤー:形と陰影
グレー(作業中は青表示)は“面”と“陰影”を担当します。動画では主に2つの作り方を使い分けています。
- Fill(塗り): 眉など、ある程度まとまりが欲しい部分
- 手描きのラン: 虹彩の陰影(質感)
Fill角度と手描き陰影で「質感」を作る
ベタ塗りはシールっぽく見え、質感が出ません。ここで“糸の流れ”を作ります。
虹彩・瞳:ランで手描きの陰影(スクリブル)
円を作って自動Fillにせず、虹彩の中をランで行ったり来たりしながら描き込みます。

なぜ手描き? 規則正しいFillは“数学的な列”になりますが、目の虹彩は不規則な繊維感があります。手描きのムラが、それを再現します。
密度チェック: 詰めすぎないこと。生地が少し透けるくらいが“陰影を乗せる”状態です。
眉:Fillの角度で毛流れを作る
眉はFillツールを使い、ステッチ角度を毛流れに寄せます。


手順の要点: 開始点と終了点を置き、方向ハンドルをドラッグして、毛が寝る方向に対して斜めに流れるように角度を合わせます。動画では“クロスハッチっぽい”見え方を狙っています。
よくある改善(コメントより要約):「この部分、見栄えが良くない」なら削る
コメントで「目の左側(鼻影のような部分)が良くない」という指摘があり、制作者はその部分を削除して見栄えが改善したと述べています。
判断基準: 「これは何?」と説明が必要な要素は、スケッチ刺繍ではノイズになりがちです。迷ったら削って、余白(生地)を活かす方がまとまることがあります。
仕上げ:縫い順(シーケンス)とプロパティ設定
描けたら、次は“機械が縫いやすいプログラム”に整えます。
Travel on Edgeで塗りの境界を整える
眉のFillは、移動の仕方次第でエッジが荒れたり、内部を横切る移動が目立ったりします。動画ではFillオブジェクトを選択し、Travel on Edgeを有効化します。

効果:
- 外周沿いに移動: 次の縫い位置へ行く際、形状の外周をなぞるように移動しやすくなる
- 見た目が締まる: 境界が整い、ギザつきが軽減される
- 密度が開く: 動画では有効化により密度が1.2に設定されます(眉を“塗りつぶし”にせず毛感を残す狙いに合う)
注意:機械側の安全確認。 密度が混在するデータを回す前に、針の状態を確認してください。欠け・摩耗がある針で無理に貫通させると、糸切れや針折れにつながります。
縫い順を組み替えて安定させる
動画ではシーケンス(順序)を並べ替え、物理的に自然な重なりにします。
基本の縫い順:
- グレー(下地・陰影)
- 白(ハイライト)
- 黒(輪郭・締め)

スローリドロー(シミュレーション)で最終確認
書き出し前に「Slow Redraw(仮想縫い)」で必ず確認します。

見るべきポイント:
- 目の中を横切る直線が出ていないか(不要なジャンプ/移動が目立つ)
- 色が行ったり来たりしていないか(黒→白→黒のような切替は非効率)
現場目線の補足:量産を見据えた段取り
データ最適化は利益の入口です。次に効くのは段取りと設備です。
- レベル1(データ): 本記事のように、トリムを減らし走りを安定させる
- レベル2(段取り): 刺繍用 枠固定台で位置決めを固定し、サイズ違いでも同じ位置に落とす
- レベル3(設備): 多針刺繍機なら、グレー/白/黒を事前にセットして連続運転しやすい
仕上がり:マグネット刺繍枠での縫い確認
動画は実機で試し縫いを行い、最終的に約4x4インチ相当の範囲で、約7200針に収まっています。

枠張りと縫いの前提
デモは5.5インチのマグネット刺繍枠(Mighty Hoop系)での縫い上がり確認です。
なぜマグネット枠? スケッチ系は線の精度が命です。従来枠で外枠を締め込みすぎると枠跡が出たり、テンションが偏って生地が波打ったりします。マグネット刺繍枠は垂直方向に均一にクランプしやすく、枠張り時に生地を引っ張って歪ませにくいのが利点です。結果として、虹彩の円が楕円になりにくく、位置合わせも崩れにくくなります。
注意:マグネットの安全。 強力なマグネット枠は挟み込み力が非常に強い工具です。指を挟まないよう、吸着ゾーンに手を入れないでください。医療機器や精密機器の近くでも取り扱いに注意します。

仕上がり判定:「良い縫い」とは
完成サンプルは次でチェックします。
- 引き目チェック: 少し離れて見たとき、スケッチ(描画)として成立しているか
- 触感チェック: 瞳が“ゴリッ”と硬い塊になっていないか(質感が残っているか)
- 裏面チェック: 下糸側が極端に荒れていないか(糸調子が破綻していないか)
判断フロー:白ベースの要否とスタビライザーの考え方
迷ったら、次の考え方で決めます。
- A:硬めの生地(デニム/キャンバス)
- スタビライザー: ティアアウェイでも成立しやすい
- 白ベース: 生地が明るければ不要なことが多い
- B:伸縮素材(Tシャツ/スポーツ系)
- スタビライザー: カットアウェイ(ノーショーメッシュ等)を優先
- 白ベース: 濃色なら検討(線が沈みやすい)
- C:厚手/毛足(パーカー/フリース)
- スタビライザー: 厚手カットアウェイ
- トッピング: 水溶性フィルムで沈み込みを抑える
- 枠張り: 厚物は保持が難しいため、マグネット刺繍枠のように均一クランプできる枠が有利になりやすい
ツールのアップグレード判断
データは良いのに結果が安定しない場合、ボトルネックは枠張りや段取りのことがあります。
- 厚物の枠張りがつらい: mighty hoop 5.5 マグネット刺繍枠のような深さのあるマグネット枠を検討
- 位置合わせが毎回ズレる: 枠固定台で再現性を上げる
- スターターを揃えたい: 5.5 mighty hoop スターターキットは、機種ブラケット間隔の適合確認が前提
Prep
「スタートを押す前」に勝負は決まります。
忘れがちな消耗品&事前準備
- スプレーのり:(任意)スタビライザーに軽く噴くと、枠内中央の浮き・波打ちを抑えやすい
- 水性チャコペン: センター出し用
- ピンセット: ジャンプ後の短い糸端処理に便利
- 新品針: 作業前に交換しておく
- 適合確認: 新しい枠を導入する場合、機械側ブラケット寸法の適合を確認(例:刺繍ミシン 用 マグネット刺繍枠は機種ごとに取付条件がある)
Prepチェックリスト(ソフトを開く前)
- ミシン: 釜周りの清掃・糸くず除去
- 針: 新品を装着(向きも確認)
- 糸: 黒/濃いグレー/白を準備
- ボビン: 残量十分
- 生地: シワをプレスし、スタビライザーを用意
Setup
デジタイズ環境の設定。
枠サイズ設定と下絵の取り込み
- ソフトを起動(「The Design Doodler」等)
- 枠サイズを選択:5.5"(140mm)または4x4"(100mm)
- 画像を取り込み:スケッチ画像を配置
- サイズ調整: 目の幅が約3.5"になるまで縮小
- ロック: 作業中に下絵が動かないよう固定
Setupチェックリスト(縫いを描き始める前)
- 下絵を取り込み、幅約3.5"に調整済み
- ズーム:密度確認は1:1、描画は3:1を目安
- ステッチ長:3.0mm
- Single Runツール選択
- (該当する場合)自動分割はオフでスケッチ感を維持
- パス色を赤などにして視認性確保
Operation
実作業フェーズ。
手順(チェックポイント/期待結果つき)
- 黒レイヤーを作成(表示は赤でOK):
- 作業: まつ毛・まぶたを、往復+つなぎで連続的に描く
- チェック: 重なりはするが“溜まり”になっていない
- 虹彩の陰影:
- 作業: 瞳から外周へ向けてランで手描き
- 目安: 画面上で6〜7割程度のカバー。生地が少し見える
- ハイライト:
- 作業: 光が当たる部分に小さく描く
- チェック: ハイライト同士を無駄にトリムで分断しない
- 眉(Fill):
- 作業: 形状を作りFill、角度を毛流れに合わせる
- 設定: 「Travel on Edge」を有効化
- 縫い順の組み替え:
- 作業: グレー → 白 → 黒の順に並べ替え
- シミュレーション:
- 作業: Slow Redrawで確認
- チェック: 目の白目部分を横切る“飛び線”が出るなら、開始点/終了点を寄せて修正
書き出し前チェックリスト
- 密度事故なし: 同一点に過剰な重なりがない
- つなぎ: 接続の目印(丸)が要所で確認できる
- 角度: 眉が斜め方向に流れている
- 縫い順: グレー → 白 → 黒
- 形式: 使用機に合う拡張子で書き出し(.PES / .DST / .JEF 等)
Troubleshooting
トラブル時は「低コスト→高コスト」の順で切り分けます。
| Symptom | Mostly Likely Cause | The Quick Fix | The Prevention |
|---|---|---|---|
| 糸切れ | 糸道の引っ掛かり/針の劣化 | 上糸をかけ直す(押さえ上げて)・針交換 | 糸品質を揃える/無理な高速を避ける |
| 鳥の巣(下糸側) | 上糸がテンション皿から外れた等 | 糸溜まりを除去し、上糸をかけ直す | 糸掛け時は糸を張り気味に通す |
| シワ・引きつれ | 密度過多/枠張りが弱い | (軽度なら)スチームで整える | カットアウェイ使用/枠張りを強化 |
| カチカチ(Bulletproof) | 同一点の往復が多すぎる | 現物は戻らない。データを修正して往復回数を減らす | 1〜2往復を上限にする |
| 上に下糸が出る | 上糸テンション過多/下糸テンション不適 | 上糸テンションを少し緩める | 事前に端切れでテスト |
Results
これで、下絵スケッチを「機械が縫えるデータ」に変換できました。
最終目安(動画の結果):
- 約4x4"相当の範囲
- 約7200針
連続パスのSingle Run運用を身につけると、「クリックして点を増やす人」から「機械の動きを設計できる人」へ一段上がります。
次の一手: もしデータは良いのに、枠張りや糸替えがストレスなら、スキルに対して道具が追いついていない可能性があります。
- 位置合わせがつらい: マグネット枠や治具で段取り短縮
- 糸替えが多い: 多針刺繍機の導入効果を試算
刺繍は「折れた針の数だけ上手くなる」世界です。今回は、その最初の数本を減らせるはずです。
